前世療法をお受けになった方の感想⑩   慢性疲労症候群の治療 その1

 

前世療法(一回目)

 

宮本翔子(仮名)。19歳 女性。埼玉県

 

1)通院しているメンタルクリニックで持病であった慢性疲労症候群を治す治療のひとつとして担当医から紹介をうけた。

 

2)慢性疲労症候群を完治させて体力をあげ、新しい自分に生まれ変わるチャンスだとおもったのと、

先生から紹介をして頂いて直感でやりたいとおもい、わくわくする気持ちがあったのですんなり受けようと思った。

また将来日本画家になりたいので、今世の生まれた意味をしれれば道が開けそうだとも思った。

 

3)慢性疲労症候群

小さい頃から体力がなく、幼稚園からよく休んでいて、特に小学校4・5年生から学校を結構休んでいました。そのころは友人関係でうまくいかないこともあり、そのせいだけで体が疲れていると思っていました。

中学になってもすぐ疲れるのはかわらず、また中学校での環境の変化にもついていけませんでした。そして中学校では上から押さえつけて、皆同じ行動を強制され、要領の悪い私はよくまわりの子や姉と比較されて、意見も反論もいわずに勉強ができる子・先生の言うことを素直に従う子だけがよい子とされるのが恐怖となり、友人たちも何も疑問に思わずにそんなよい子になっていくのが怖く耐えられなくなり中学一年で不登校になりました。不登校になっても体力があがることはなく、毎日体がおもくて、脳に私は動ける・私は元気と言い聞かせても逆効果でつかれていきました。

このままでは駄目だと思い、不登校の子が集まる学校やカウンセリングにいきましたが、体がついていかずに休んだりしてしまった為そこの先生から「病気に甘えてるだけでしょ」「頑張ってない」と言われたのが辛くなってしまい結局そこへ通うことも、心身ともにもたなくなり行けませんでした。確かに甘えはあると自分でも思うのですが、体が動いてくれないので、気持ちだけが頑張っても体と心が連動しませんでした。

高校は行きたいと思ったので、中学3年からまた中学校へ行きだしました。昔から好きだった美術がやれたらとおもい美術予備校へ行き出すと、美術の力やそこでの友人のおかげで考えられないほど元気になっていきました。無事志望校に合格できました。

高校の美術の授業で日本画を体験し、とても楽しいことだったので、また不思議と体力が上がり心も元気になりました。それでも体がもっているわけではなく週に1回は休んだり、ときには1週間、1か月以上休んでいました。しかし前に病気に甘えているだけと言われたのが本当に悔しく、疲れても、疲れるのは甘えているからだと自分で体にムチを打って体を無理に動かしていました。自分が特別体力がないと思えなくて、周りの子も同じくらいの体力・疲労感だと信じていました。今思えば自分に厳しすぎたのかもしれません。

そんな中、大学受験がでてきて、忙しくなった為かいよいよ体がもたなくなりました。欠席が多いせいで卒業できないかもしれない・・・というところまできて、ようやく自分の体・心と向き合おうと思いメンタルクリニックへいき先生と出会いました。そこで慢性疲労症候群と診断され、先生や漢方の力、家族の支えもあり、次第に自分の体と向き合えるようになり、生まれて初めてぐらいの元気さを取り戻せました。そこで元気になっているところへ一気に押し出してしまおうと前世療法を紹介していただいてます。

 

 

4)ありません。

 

 

5)前世みることで治療になるのか不思議でしたが、面白そうとおもいました。

はじめは自分の体から魂が抜けて前世へもどるのだと思っていたので、自分の体に他の人の魂が入ってしまったらどうしよう!自分の体に戻れなくなっちゃう!なんて思いました。

 

 

6)ブライアン・ワイスさんの前世療法CDと瞑想CD1か月間寝る前に聞いていました。前世を見ることは無く、すぐ眠ってしまいましたが睡眠が深い眠りで怖い夢をみることがなくなり、質がよくなりました。

治療する前にすでにとっても元気になっていました。

 

 

7)なぜ自分は慢性疲労症候群になり、そこで学ぶことはなんだったのか。また前世でなにかつながりはあったか。を知れたらと思っていました。

ホームページで体験談を読み、もしなにか怖いことがあったらどうしよう・・とか、私にも前世がみえるのか?CDのように寝てしまわないか? と色々考えてしまいましたが、頭で考えるとかえってよくない気がしたので、なるようになる とおもって固くならないようにしていました。

見たら、見る必要があったから。見なかったら見る必要が無いから。と思っていました。

 

 

8)最初に今世の高校時代→小学校→幼稚園の記憶と先生の誘導により戻っていきました。まっくらで何も見えなかったので、赤ちゃんの記憶に戻りました。2歳くらい位の記憶で、白い靴下に赤い洋服を着て家の廊下でつみきのようなおもちゃで遊んでいました。一人でしたがとても楽しく、台所には母がいて、祖父母も家のどこかにはいました。12月の晴れか曇りの日でした。

 

次におなかの中に行きました。とたんにまた真っ暗になりました。自分の足はあったのでおそらく生まれる直前だとおもいます。なにも見えないのに、心が押しつぶされそうな気持でだれかと離れたくない気持ちがしました。そして生まれたくない気持ちでいっぱいで、生まれても誰も喜んでくれないきがして、おなかの外が恐怖でした。

そこでガイドの人と出会いました。そのひとはおじさんで名前は分かりませんが、前に前世療法のCDを聞いている時に現れたおじさんでした(その時はただ私の想像で出てきた映像だと思っていたのでガイドの人だとはおもいませんでした。)

ガイドのひとも私と同じ真っ暗な中にいて顔はよく見えませんでしたがどこかで見たことがありそうでした。そして隣に来てくれて、手をにぎってくれました。すごく安心して、恐れがなくなりぽかぽかしました。そして誕生できました。おじさんは今世で人として出会うことはなさそうです。

 

次にガイドのおじさんと前世で一緒だったときに行くことを先生に勧められたので、行くことにしました。

金色のドアを思い浮かべて、そこからトンネルを通っていきました。

トンネルの先はすぐに土の上でした。土以外に何も見えず、素足で少しだけ湿った土のうえでした。そこは道で固まった土、温度は少しひんやりしました。(つめたくはない)自分は女性で気持ちはふつうです。

その次に自然豊かな所にいる気がしました。シーンが見えるよりも先に自然のにおいがしてさわやかな心地になりました。そのうちに映像が出てきてカラッとした風が吹き、周りは草や木がありました。ジブリのワンシーンのようなさわやかさです。雨が降った後のやさしい日光が体や地面に命いっぱい降りそそいでいました。大好きな場所だ、と感じました。そこは一人だけの世界。ワンピースを着てたたずんでいました。気分は穏やか。

時代はいつ?と先生から誘導していただくと さっきの土の上に戻りました。

4000年~1000年前のどこかでイマイチわかりませんでした。

場所もわかりませんが暖かい気候でした。私の名前は「マ」が最初につきます。服は少し土が滲みている白い布1枚でした。髪は黒。東洋系な人で肌は少し日焼けしていて20代の未婚女性でした。さっきの自然の中にいたときと違う人で、時代も違うと思います。

豆をたべる食生活でした。一人で住んでいるか分かりませんが、家族は歩いて30分くらいのところにいて、ガイドのおじさんはとても仲の良い同じ20代の男性でした。幼馴染のような関係で近くに住んでいて、名前は「ア」が最初につく名前でした。

しばらくして、ガイドのおじさんはお家の事情でお引越しをしてしまいました。とても悲しいきもちになりました。胸が押しつぶされそうでした。おじさんとは本当に大切な親友だったのだと思いました。

 

次の重要な場面に行きます。

40歳くらいでした。結婚はしていませんが家に6歳の少年と暮らしていました。その子はどちらかと言えば西洋系の顔で自分の子でもなく親戚でもありません。自分の助手か作家仲間に近い存在で名前は「ユ」が最初につきます。そしてその子と共に私が当時大好きだったらしい木工細工をして生活していました。朝から晩まで木工細工に夢中で、少年とすごく楽しく作っていました。木工細工はかけ時計のように壁にかけて飾るもので、時計のようにマル、五角形、八角形の台に細かい鮮やかな飾りがたくさんついていました。それを作るのが大好きで、一生懸命作っていました。時計とは違いました。

木なので彫刻刀やカッターのようなもので作り、飾りの彩色も自分たちでします。染料で木に上から塗る工程も自分たちでやっていました。

売ることもしていましたが、基本は喜んでくれる人たちにプレゼントしていて、プレゼントしては自分も大いに喜びそれを生きがいとしていました。本当に幸せな気持ちでした。

少年とは今世で会っている、もしくはこれから会う人です。誰かは分かりませんが年中一緒に暮らしてもお互い気楽で、心地の良いひとです。

 

次の重要な場面に行きます。

いきなりヨーロッパ系のおばあさん(60代)が倒れて亡くなっていました。かなりリアルで鮮明なシーンで見えました。おばあさんはまだ倒れたばかりでなにかの事件があったようにみえました・・・おばあさんは村人でない私も見ず知らずの人に短刀で刺されているようでした。

おばあさんは前世のなかで最近出会った人でした。今世でもいそうに感じました。

 

その前世での私の死の場面にすすみます。

先ほどの事件から数分くらいの時間しかたっていない場面でした。

私もおばあさんのようにしらない人にナイフで刺されてしまいます。多分私たちの村が襲われて、8人~15人程度の豪族のような人たちが、お金目当てで来たようでした。わたし、おばあさん以外にも5人の大人が無差別に刺されて亡くなってしまいました。

刺された痛みはなにもなく、すごく冷静に「ああ、死んだ」という気持ちで、何か大事なものをかばって刺され、特に驚きも辛さもありませんでした。何をかばったかはわかりません。

木工細工をしていた少年は、安全な場所へ逃げていったのがわかり私は安心していました。

自分の体から離れて上から見下ろしてみましょうと先生が誘導してくださり、離れてみるといつのまにかガイドのおじさんが隣にいました。

おじさんはその事件で亡くなったわけでなく、私より少し先に亡くなっていて私がそのとこで死ぬのを知っていたかのように私を上から見守ってくれていたきがしました。おじさんは特になにかを喋るわけでもなく、穏やかにとなりにいてくれました。

私も死んだことへの恐れも後悔もなく、とても穏やかでした。とても安らかでした。

 

そこで先生に誘導していただきながらおじさんに聞いてみました。

Q、この人生で学んだことは

A、好きなことを命いっぱいやることでの楽しい気持ち

 

Q,今世でどうして慢性疲労症候群になったのか

A,慢性疲労症候群になることで苦しむ、楽しむ、何かをできない、出来る自分や、好きなことや嫌いなことを理解するのに必要だった。様々な自分を理解するのが学びだった。

 

Q,今世での使命はなにか

A,人を助けること(家族・友人・世界中の人)

 好きなことをたくさんすること。

 

Q,今世でやったほうがいいことは

A,好きなことはもちろん苦手なことにもたくさんチャレンジして、経験をたくさんつむ。

 たとえ出来そうにないことでも、やり遂げる力をもっているから大丈夫。

 

Q,おじさんはこれからも困ったときは出てきて助けてくれますか

A,おじさんが助けなくても物事を解決する力をちゃんともっているから、私は見守っています。ちゃんといつも見守っているから大丈夫。どんなことがあっても見守り続けている。

 

Q,アドバイスをくれたりはしてくれますか

A,おじさんがアドバイスをしなくても、自分でヒントをみつけていけるだろう。悩んだとしてもおじさんではなく、周りのだれか・出来事がアドバイスしてくれたり、手助けをしてくれる。問題の原因も自分で気づけて、自分で解決していけるよ。

私の役目はただ君を見守り続けることだ。

 

Q,今世で私はどうして日本画をやりたいのでしょうか。前世との繋がりはありますか。

A,日本画は自然と調和できる画材だから、だから君は魅かれるのでしょう。木工細工も木を使うから自然と調和していたように、日本画でも通じるものがあるのだろう

 

そのあとおじさんといる安心を体に感じさせ覚えさせて、気持ちがよく終わりました。

 

 

その後帰宅し、また違う前世のようなものをみました。

 

 

いきなり自分が死んでいるところから始まりました。

なぜ死んだのかを戻ってみることにしました。

 

 

次の場面へ

今世に生まれる前の、つい最近の前世だと思いました。

場所は日本。町のような少し発展している場所でした。周りから「ユキちゃん」とよばれていて20代女性の未婚者です。一人っ子で平凡な容姿でした。

会社のようなところで働いていて、今世の姉と同じ会社でした。その女性の名前は分かりませんが、とてもきれいな美人な方で私と同期でした。社員寮の部屋が同じでよく話す関係でしたが、私からみると凄く仲良しでもなくほどほどな仲でした。会社内でも特に問題はなく、いたって普通でした。

あるとき社員の男性が退社してしまうことになりました。その男性は女性に人気で、私は苦手な感じがしたのですが 同僚の美人な女性(今世の姉)はその人が好きで、本当に大好きなようでした。そのためとても悲しんでいました。

その男性は今世にいそうですが、嫌いな人ではないけれど、どうも好きになれない人だと思います。誰かはわかりません。

 

 

次の場面へ

男性が退社する日にある噂が流れました。私とその男性がお付き合いをしている、とのことでした。しかし噂は全くの嘘で、私はほかに好きな人がいたようでしたし、退社する男性も違う子と秘かにお付き合いしているのを私だけ知っていました。

しかし美人な女性は、男性が退社してしまうことにかなりのショックをうけていたのもあり精神状態は通常ではありませんでした。嘘だとひとつも疑わずに噂を簡単に信じこみました。

噂は会社で私を良く思っていない人達か、その男性が好きな人たちが流した噂でした。

信じ込んだ美人な女性からは殺気を感じました。周りの人たちが落ち着かせようとしても効かず、恐ろしい目をして、わたしが嘘だと言っても逆効果でした。

本当に危険だと思って逃げ出しました。女性は勢いよく追ってきました。

「もう死ぬな、殺されるな」と思いながらも、必至で逃げ、運よく逃げ切ることができました。

私が好きだった人は今世でも知っている人かもしれません。

退社する男性が本当に付き合っていた子は、いまの私の仲の良い友人です。

 

次の場面へ

おそらくその日の夜で、私は社員寮に戻っていました。同じ部屋は先ほど書いたように美人の女性と同じ部屋で、他2人の社員もいました。時間も経っていたのでさすがに女性ももう落ち着いたと思い、また人を傷つけるタイプでも無く優しい性格だったので、仲直りをしたいと思っていました。

その反面まだ彼女に殺気があると恐ろしいので、布団に包丁を隠していました。刺すつもりなどは全くなく、包丁を見せたら彼女も落ち着いてくれると何故か思っていました。

彼女が部屋に帰ってきました。

他2人はさっきあった揉め事を一切知らないようで、通常通り「おかえり」といっていました。

予想は外れ、彼女はさらに恐ろしい目をし、まるで何かに取り憑かれているようでした。

他2人にあいさつもせず、私を見た途端襲い掛かりました。床に押し倒され、今度こそ殺されると覚悟しました。さっき隠した包丁の存在も忘れ、必死に抵抗しました。

他2人は状況が呑み込めず唖然とし、少したってから止めに入ってくれました。

すると女性が「さっき包丁隠したよね」といってきました

血の気が引き、そこから思考が止まっていました。息苦しさだけがありました。

無我夢中で彼女を取り押さえましたが手遅れでした。気づいたときには女性はさっきの包丁で私を刺そうとしていました。私は彼女から包丁を奪い返し、気づいたときには私は女性を刺してしまいました。女性は亡くなってしまったようにみえました。

心臓がえぐられそうな感覚と息苦しさでいっぱいでした。

怖くなって私は左胸を自分で刺して(もしくは既に女性に刺されて)、これでは死ねないと思い部屋をでた階段の踊り場か、ベランダの2階?から飛び降り自殺をしました。

ここで、最初に見た自分の死の場面と同じになりそこでの人生は終わりました。

同じ部屋のほかの2人は今世でも会った、これから会う人です。

 

 

次の場面へ

その事件後の場面でした。私は上から場面を見ています。美人な女性は見ていません。

退社する男性は既に退社していました。

その男性とお付き合いしていた子は、私と美人な女性が亡くなったことを次の日に知り一番悲しんでくれていました。過呼吸になるくらい私たちのために泣いてくれていました。「大切な友人だった」と周りに告げていました。胸が痛くなりました。ここでやっと自分が犯してしまったことを理解でき深く反省しました。

私の好きだった人も悲しんでいて、何も言わずに立たずんでいました。

同じ部屋のほかの2人は、私たちを止められなかったことをひどく責めていました。死んでしまったことを悲しんでくれていますが、それ以上に止められなかったこと、止められなかったことで周りの皆が悲しむ結果になってしまったことを悔やんでくれていました。申し訳ない気持ちでいっぱいでした。自己防衛だろうが後先何も考えず一人の命を奪い、また自分の命も捨てたこと。過去は変えられませんが、もしあのとき私が彼女を殺さずに自分一人だけが死んでいたら周りに悲しい気持ちをここまではさせなかったろうと、彼女の人生まで変えてしまわなかっただろうと、悔やみました。

皆は悪くない、私のせいだよ、ごめんなさい、悲しまないで、と伝えたいのに体が無いので伝わりませんでした。

そして彼女と仲良くなりたかった、和解したかった、ごめんでは済まないけどごめんと言いたかった。こんな形で彼女との縁をおわりにしたくなかった。

そう思い前世の記憶は終わりました。

 

 

映像で見るところ、写真のようにワンシーンで見るところ、色が見える、音が聞こえる、においや空気感をリアルに感じる、感触を感じる、味を感じる、感覚で伝わったところもありました。

大体が気持ちを感じました。なのでほぼ周りの状態は分からないときは、気持ちでそのときの状態を探り当てていきました。(こんな気持ち→この気持ちはいつ感じるもの?→今世だとこんな時かな?→じゃあ今こういう状況だ!!という風に)

後は感で記憶を探りました。

 

  

9)

【赤ちゃんの記憶】

・一人で遊んでいた

→母曰く一人でも楽しそうに遊んでいた。

・着ていた服

→気に入っている写真で来ていた服。

・おなかの中で

→母曰く、予定日から1週間ずれ、中々生まれようとしなかった。

 母のお腹にいるとき、私が生まれるとお姉ちゃんがきっと寂しがるから赤ちゃんは記憶ないだろうからお姉ちゃんと時間をもとう とのようなことを言われていたようです。その会話が理由なのかおなかの外はこわい、生まれても喜ばれないと思ったのかも。

・生まれたとき

母や家族、皆誕生を喜んでくれた。それが赤ちゃんの私にも届いて暖かい気持ちになった。生まれてきれくれてみんな嬉しかった と母がいってくれました。

 

【自然の中にいた】

・自然

今世でも自然が大好き、日光があたりさわやかな風が吹く情景が大好き。

 

【前世①】

・木工細工

今世でもすき。今世で日本画を極めるか工芸(とくに漆)を極めるか、結構悩むほどすきなもの。何かと木工細工のような作品や、彫刻刀・カッターを使ってできる作品は気に入ってもらえる作品が作れる。自分でも気に入った作品ができる。

木の触り心地が好き、木がある生活でないと考えられない人、木のにおいが好き。(生まれ育った環境が自然の多かったのも理由はあると思う)

売ることよりも、プレゼントに比重をおいていたのは、今世でも作品を誰々にプレゼントしたいな とおもって制作した方が売り物・作品・展示品と思ってするより気持ちよく制作できる。また相手に喜んでもらえるのが何よりも元気をもらえる。自分の気持ちを表現することは芸術において大切だとおもうが、相手が感動できる表現の方が何倍も大切だとおもっている。

 飾りが細かい・ていねい・自然物を対象としたデザイン は今世の絵で細かい・丁寧と言われるところに通じる。絵だけでなく、私生活でも丁寧過ぎるといわれ、ちまちましています。 もともと自然を対象としたデザインは得意で、奇抜なデザイン(現代アートとか)を出来ない方で、ここ数年奇抜なデザイン力が無いことをコンプレックスとしていたくらい。前世を知り「ああ、そうだよな、自然から学ばせてもらう方向でいいよね。むしろ感謝することだな」と納得でき認められました。

 

・豆を食べている

今世では大好物とまではいきませんがまあまあ好きなもの。前世で食べた豆は今食べている豆より何倍も美味しいものでした。

 

・死ぬ場面

好きなことを精一杯やれればどの様な死に方でも、人生を振り返り達成感で満ちると思った。何か大切なものを守り死んでいった自分は今世で考えにくく、驚いたものの少し誇らしくも思えました。死をしっかり受け止められたのはおそらく何度も転生して何度も死ぬ体験をしているので魂がその体験を知っているからだと思います。命を大切にして、今世を精一杯生き抜いていきたいです。

殺した人を思い出したくなかったので、記憶がなくて安心です・・・。

 

【おじさんとの会話】

おじさんに質問をしているので、声を出してしゃべってくれると思い耳をすませていたのですが、おじさんが口を開くことは無く、心の中に伝わるように自然とおじさんの気持ちに私もなり、おどろきました。

ずっと見守りつづけているよ、と言ってくれてなんてこのおじさんは根性があるんだ・・・と尊敬のまなざしでした。実際この言葉は心の奥底では言われたい言葉でもありました。

おじさんの答えは日頃こうなんだろうなーと自問自答していたときと同じ内容でした。

今世の使命、病気になった意味など、「やはりそうだったんだな、」と安心できました。

 

 

【前世②】

・美人な女性との関係

今世でこの女性と姉妹となったのは私がこのままの仲で終わりたくない、命を奪ったことを謝罪したい、と思ったからだと感じた。

今世での姉との関係は、あまりよくなく、仲良くしたいと近づいても上手くいかず、それは近づくほどうまくいきませんでした。反対にお互いのちょうど良い距離をとろうとしても、離れすぎて全くの赤の他人状態になっていました。上手くいかないことから学ぶ勉強と思いつつも、 仲良し姉妹でなくても心地の良い距離をつくり、会話はせめてできる関係になりたいと思っていました。うまくちょうどいい関係を作りたいと願うのは前世でもちょうどいい関係ができなかったからだと分かりました。前世レベルで知ったことで気が楽になり、姉とはお互いの立場を理解しあえているとは思っているので今後よくしていこうと励みになりました。

容姿で彼女のほうが美しかったのは、今世での姉の方が芸術能力や学力など、なにかと能力が私より優れているのと通じるような気がしました。

 

・退社した男性とつきあっていた子

性格や皆から好かれるところが今世でも同じでした。前世で私が彼女に抱く思い、彼女が私に抱く思いが今世と通じます。

 

 

10)

ポジティブの変化:心が軽くなっていきました、特にこのまとめる作業で気持ちの整理ができて心が軽くなった。嬉しい気持ちがずっと続いている。

 

副作用:感受性が高くなり、悲しみや嬉しさで2日間たくさん涙がでた

 

 

11)

ポジティブな変化:体が動きだしていらないものを出している感じがあり、体内のいらない水分が循環されてむくみが無くなっていく感じがしました。

水を飲むともっと水の力で外へ排出しているかんじがありスッキリしました。

体の免疫が上がったかんじ。

今までいらない緊張感が常にあり、へんな汗をたくさんかいていましたがなくなり体が楽になりました。

 

副作用:高熱が出た後のような頭をあまり動かせない、歩くのがよろつく、ボーとするだるさがありましたが、回復してるなとわかるので安心感がありました。

水をたくさん飲んだら一日で治りました。

頭痛が3日間続きました。いつのまにか治りました。

 

 

12)

体力が上がったのが一番役立ちそう。

日本画になぜ魅かれる理由がわかった、自分の作品でなにが大切だと思っているのかを知れたのは大きかった。

まわりに流されやすく、気持ちが揺らいでしまいがちでしたが、魂が本当に思っていることはこっちだよね、これが自分にはいいよね、とぶれずに軸をまっすぐにして向き合っていけそうと思います。

おじさんと対話できたのも新しい扉をあけられたようにおもう。逆風が吹いてきたとしても、おじさんが見守ってくれているので立ち向かっていけそうです。自信をもてました。

姉との関係も、今まで仲良くなれないんだなと諦めかけている部分がありましたが、本当の気持ちを思い出せたので時間をかけて徐々に向き合おうとおもいました。

 

 

13)

もし受けるとしたら

・今の家族や、良き友人たちとの関わりを持った前世もみてみたい。

・日本画とどこで深く関わりをもったかをしりたい。

 

 

14)

①メンタルクリニックの担当の先生から教えていただきました。

②わかりやすく、やさしく説明をしてくださるので施術に入るときにはすっかり安心して受けられました。体まるごと先生に預けられるくらいの安心感でした。

体調も相談できるのが本当にありがたいです。

施術前に書く問診票や、施術後に書く記録も自分で気持ちの整理ができていいです。

③、④なし

 

 

15)

①体験談を通して施術前にこころの準備ができてよいと思います。先生からのコメントもモニターの方との信頼関係がみえて何故か私まで嬉しくなります。前世療法についても詳しく書いてあるのでしっかり理解してから施術を受けられるので安心です。

②なし

 

 

16)

母の施術中をみて。

先週母の施術を横で見ていたので、安心感が本当にありました。

途中、先生の穏やかな声に私が隣でリラックスしてしまい寝てしまうくらい心地よかったです。寝てしまい本当にすみません。

母が元気になっていく姿をみて、これからが楽しみです。ありがとうございました。

 

 

 

 

セラピストよりコメント:

 

一年前に宮本翔子さんと診察室で初めてお会いした時のことを今でも覚えています。高校3年生だった翔子さんは、不登校と病気が出た時期が重なっていたため、それまで「疲れやすいため学校を休みがちな子」として過ごしておいでになり、特に医療機関への受診のご経験はなかったとのことでした。お母様の雅子さんと二人で入っておいでになったのですが、ぐったりして「とても」疲れておいででした。脈診をしても、ようやっと日々を過ごしているという感じです。脈診後、私は翔子さんに「疲れてますよね?」と尋ねました。翔子さんは、困ったようにはにかんで「ええ」と答えました。

 

慢性疲労症候群は最近は理解されるようにはなってきましたが、体中が鉛のように重く動かなくなり、頭も心もうまく機能しなくなります。現在の医学ではまだ十分に原因や治療法が明らかになっていないため、周囲に理解されることも少ないため、「がんばっていない」「怠けている」と誤解されてしまうこともあり、当人は非常に困ってしまいます。治療法として、医療的な治療もさることながら、マインドフルネスなどでストレスに対処する方法を学んだり、食事療法、運動療法などのいわゆる自分で自分を大切にする方法を身に着ける「セルフケア」が大切な分野になります。特に、マインドフルネスは、慢性疲労や不安には大変優れた効果が認められています。西洋医学で思うような治療法がない分、マインドフルネスは特効薬のようなものです。

 

翔子さんは漢方がよく効いて健やかに回復していきました。学校にも行けるようになり、本人が学校に行けなかったのが怠けではないことを証明していきました。元々かわいらしい笑顔が、一層輝きを増していきました。その変わりぶりにはお母様も驚かれるほどでした。

 

たまたま、長野に住むご家族のお知り合いのヒーリングの先生のところで過ごした後、宮本さんはとても元気になり「安心した。リラックスできた。そうしたら元気になってきました」と仰いました。大学で日本画を学びたいと予備校へ通い、数か月前には、受験のために東京で行われる2週間の日本画の短期集中合宿に参加したいという希望を持ち始めました。ご本人の体力がもつかご家族も私も大変心配いたしましたが、ご本人は自分が選んで行ったためか、一段と元気になって戻ってこられました。

 

さて、「安心して、リラックスしたら元気になってきた」という宮本さんの言葉を聞いた私は、宮本さんに前世療法やマインドフルネスは合っているかもしれないと考えるようになりました。特に、前世療法では、その準備段階でマインドフルネスのリラックス法を学ぶと言う要素を含む上に、根本的な原因にまで踏み込んで治療ができます。ただ、前世療法は、根本的な部分に踏み込む分、力の強い治療法でもあるので、施術の後に大きな体調の変化を生じさせることがあります。だるさがでてしまうこともあるため、翔子さんの受験勉強の妨げになってしまってはいけないと考えていました。ですが、ご本人とご家族から、「(受験の半年前という時点で)今だったら多少体調に変化が出ても戻せる。少しでも良くなるのであれば」というご提案をいただいたため、施術に踏み切ることにしたのでした。

 

前世療法の準備段階でCDを聞く中で、翔子さんは心も体もどんどん楽になっていきました。本文中に「6)ブライアン・ワイスさんの前世療法CDと瞑想CD1か月間寝る前に聞いていました。前世を見ることは無く、すぐ眠ってしまいましたが睡眠が深い眠りで怖い夢をみることがなくなり、質がよくなりました。治療する前にすでにとっても元気になっていました。」とありますが、それはマインドフルネスの効果です。マインドフルネスは疲労も改善しますし、睡眠の質も改善するため不眠の治療にも用いられているからです。また、ご本人の不安を減らすために、お母様が翔子さんの施術の前にご自身で施術をお受けになり、それを翔子さんは見学して準備をされました(感想はこちら)

 

翔子さんの施術中の体験は、匂い、味、音、視覚、肌触りなど、とても鮮明ですね。まるで、慢性疲労症候群で体が外には動けなかった分、こころの内側が活動して深まり、一段と輝きを増したかのようです。「前世で食べた豆は今食べている豆より何倍も美味しいものでした。」という記載がありますが、いったいどのような味だったのか興味がわきます。

 

施術後、翔子さんには一時的に体調のくずれが生じましたが、じきに落ち着いてきました。施術中には自律神経が活発に動くため、施術後にはのどが渇くことが多いです。そのため、施術後には常温やぬるめのお水を多めに飲むことをお勧めしていますが、飲んだ水の力も翔子さんの体調を整えるために大きかったようです。そして、次第に体力が上がった感じがしはじました。慢性疲労症候群や、慢性のご病気から回復されてきた方はご存じとは思いますが、この体力が上がってきた感じと言うのは、言葉で言い表せないほどの感動に満ちています。特に、翔子さんは通常活動的な時期であるはずの思春期を体を動かせずに過ごされています。悔しかったことも多かったのではないかと思います。本文中の「生まれて初めてぐらいの元気さを取り戻せました。」、前世療法のフォローアップの感想中の「さらに元気になれた。」という記述は、文字通りの感想だと思います。

 

術を通し、翔子さんは、刺されて殺され、刺して殺した過去を思い出しました。つらい体験だったと思いますが、よく頑張られました。この繰り返しのパターンは、今世の翔子さんの使命にも関わってくる部分ですので、今後のセッションで大切に扱っていければと考えています。

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このビデオは、米国NY州にあるOmega Instituteにて行われたワイス先生のワークショップの模様が配信されたものです。ワイス先生が短い講演と集団退行催眠(Group regression)を行っています。