人を支援しながら、自分も癒す

 

Title: Healing yourself while supporting others

 

オリジナルの記事はこちら

 

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医療を始め、様々な支援に携わる人たちは、感情を用いる感情労働によって、心身共に疲弊することがあります。そのため、必要に応じて、または、定期的にカウンセリング等を受けたり、人に相談することで、よりよいパフォーマンスを提供することができると言われています。

 

支援というのは奥深いものですね。悩みが生じても、何が答えなのか見出すのに時間がかかることもあります。以前、ある米国の心理療法士(psychotherapist)の女性が、「長年セッションを提供してきて、人間関係について、やっとわかるようになったことがあります。」と仰ったのですが、それほど、奥深いものだということでしょう。

 

今回の記事では、医療提供者についての内容が出てきます。どんなに経験を積んでも、医療提供者のみならず、支援職に就いている方や、日ごろボランティアなどで支援をしている方々には共通のお悩みだと思ったので、匿名でご紹介することにしました。

 

たまたまセッションの内容が医療提供者についての話題であった、というだけで、特定の個人や医療提供者の方々を批判する意図はありません。あくまでも、この記事をお読みになる方の個々の学びのために記載しておりますので、予めご了承ください。

 

 

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先日オンライン・セッションをお受けになったクライアントは、医療提供者の女性。10年以上医療を通して支援を行っている経験豊かな女性です。

 

にもかかわらず、今回そのクライアントの女性は、いつになく疲弊していました。同じ医療提供者である女性のご友人の件が引き金になっている、と仰いました。

 

彼女は、困った表情で、言葉を選びながらぽつりぽつりと話し始めました。

 

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40歳代後半の友人は、今も独身で、実家で暮らしています。実は数年前、同じく実家で暮らす同じく42-43歳の弟さんが、重いご病気にかかったのです。車いすで過ごさなければならなくなり、意思疎通に課題が生じているので、医療提供者でもある彼女が、ご家族のために奔走していたのです。

 

その友人のことを、他の友人たちも含め、みんなで応援していたのですが、彼女の選択に、次第に周りがついていけなくなってきたのです。

 

弟さんが自立できないほどの状態になってもう何年も経つのに、「治療」にこだわりすぎていて、生活する、とか、社会生活を送る、とか、たとえそのご家族が将来一人きりになっても生きていけるような人生の選択をする、という視点が欠けている。弟さんは治療は継続しているのですが、一向に「治療」から抜けないのです。

 

その弟さんは、以前は何でも自分でできる方だったのですが、一人で出かけられなくなって、家の中にこもりがちになり、どんどん社会から離れていきました。

 

患者さんが自立せずに家の中に閉じこもっているだけだと、社会とのつながりがなくなり、いきがいが減ってきます。人は、どのような状況であっても、社会で自立して生きている、人の役に立っている、ということが、人を生かすのだ、という、医療現場では当たり前に言われていることを友人に伝えても、「弟は一人で電車に乗ることができないから、もっと状況がよくなったら考える。」「仕事が忙しいので、就労や介護などの福祉関係の手続きのために役所に行っている暇がない。手続きが面倒で、大変なのよ。」と耳を貸しません。他の兄弟たちも応援してくれているので、福祉サービスの申請に行くことだって、できないことではないのですが…。友人は、なぜか弟さんに社会生活を送らせるためのベースを作ろうとしないのです。そのまま、何年も過ぎてしまいました。

 

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家の中に一人で何もせずにこもっている時間が多くなると、過去のことを反芻し、恨みから抜け出せなくなることもあります。社会に貢献できると、目の前のことに集中できるので、病気のことを一瞬でも忘れることができます。病気を忘れることができると、心と体がリラックスできます。弟さんが生きがいを得て、将来を向いて歩きだせるかもしれないのに、その機会を友人が奪っているようにすら感じるのです。

 

この弟さんは、次第に食べることも思うようにできなくなり、今は食べられる食材の数も大きく減っています。これは私の印象ですが、まるで、弟さんが、生きることを選択していないのではないか、と思うほどです。でも友人は、より安全な食材を選んだり、それを食べられるようになるために専門家に相談したり、ということはしようとしないのです。仕事が忙しくて、そんなところまで手が回らないのだそうです。そのご家庭には、ヘルパーさんや家政婦さんを雇って、食事を作ってもらうだけの十分な経済的な余裕があるにも関わらず、です。

 

弟さんも、もっと姉であるこの友人に自分の意思を伝えることができるとよいのですが、患者になったことで、負い目があるのか、自分の意思を伝えづらいようです。

 

弟さんは、治療には通っているのですが、思うように改善しないことに友人はフラストレーションを感じているようです。弟さんはずっとリハビリをしているのですが、目の前の症状を改善するためのリハビリになっていて、生きていくためのリハビリになっていない。

生活のベースを調えずに、改善しないことに腹を立てても、と思うのですが、友人には伝わりません。

 

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友人は、まだできる治療を試みれば、弟さんの状況は何とかなるのではないか、と思ったのでしょう。先日、友人とこのご家族は、弟さんのために、あるリスクの高い高度な治療を受けさせることを選択したのだそうです。それに失敗すると、もうこの方に残された西洋医学の治療はありません。周りの友人たちは、もっと慎重に、食事をバランスよく食べられるようになるために専門家に相談し、体調を十分に調えてから、その最後の手段とも言える治療に取り組むことを勧めていました。その治療には高額な費用もかかります。効果があればよいのですが、効果がない場合には、この友人は弟さんを責めてしまうのではないだろうか、そんな心配まで生じてしまいます。

 

その治療は、病気の初期の方が治りはよいそうです。でも、人の体は、それだけで治療効果は図れない部分があります。栄養状態が改善するだけでも、症状が改善することがあることは、医療提供者の友人は知っているはずだと思っていたのですが…。

 

体調も調わない中、いけいけどんどんでリスクの高い高度な治療を行ったところで、万一、重大な副作用が生じたら、弟さんを失うことにもなりかねない。ご家族を失う、そのようなリスクすら、十分に考慮せずに進んでいるように見えるのです。

 

でもそれを伝えても、友人は耳を貸しません。友人は、周りの意見に耳を貸さなくなってしまったのです。これまで、自分の意見に反対する人たちを責め、攻撃していきました。今は、私もその対象になっているということでしょう…。もちろん、攻撃された相手はその友人から離れていきました。その友人とご家族は孤立していっていますが、気が付いていないのかもしれません。

 

弟さんが自分で判断できるように、私の思いを伝えられたらと思うのですが、「弟は私がいないとコミュニケーションが取れないから。」という理由で、友人が弟さんのそばから離れないので、柔らかくしか伝えられないのです。

 

弟さんの治療を担当している医療現場の人たちも、何も言わないのでしょうか…。もしかしたら、伝えているけれど、私の状況と同じように、友人が聞く耳を持たないのかもしれません。

 

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私も一人の医療提供者ですから、治療において個人や家族の選択の自由があることは、十分に知っています。ですから、私も意見は言いつつも、あくまで友人とご家族の選択を見守っている立場なのです。

 

ただ、傍から見ると、友人が何をやっているのか、もうわけがわからないので、苦しくなってきました。友人は素人ではないはずなのですが、家族のことになると、話は別なのかもしれません。

 

私から見ると、この友人は、弟さんが生きていくために必要な、食べること、仕事をすること、自立のための選択をすることを妨げているように見えます。言い換えると、友人は、成人した家族を自立させないように振舞っているように見受けられるのです。それなのに、治療効果がみられないことで、弟さんや治療者を責めているように見えます。

 

これまで家族のことで悩む友人を助けたくて、私も何とか力になれればと行動してきたのですが、アドバイスに耳を貸さない友人に、私は疲れ果ててしまいました。この友人は優秀な医療提供者だと思っていたのですが、弟さんを自立させない選択を取り続ける友人を見ていたら、人の人生を奪っているようにも見えて、なんだか、ぞっとしてしまいました…。

 

結局友人は、自分のやりたいようにしかやらず、目の前の問題を見ることをせずに、周りを責めていく。そのような友人の生き方に問題があるのだと思います。これまで、友人のためを思って、相談されるままに付き合ってきましたが、これ以上私に助けられることはないし、これ以上関わっても無用なトラブルに巻き込まれそうな気がするので、もう離れようと思います。

 

私が知りたいのは、離れ方です。人を変えることはできないことはわかっているので、問題は、私がどのように変わるか、だと思います。何が原因で、私はこのような不健康な関係に関わってしまったのか。

 

自分とは生き方が違うのだと考えることにしようと思うのですが、友人にアドバイスしても、拒絶されたことに腹を立てているのかもしれません。アドバイスが役に立っていない、と責められているように感じるのです。結局、あなたがやりたいようにやったらどう?というのも、自分に嘘をついていることでもあるし、次第に疲れてきました。医療提供者としての相談業務であれば、もっとドライに行けるのでしょうが、彼女は友人で、弟さんのことも昔から知っているので、気持ちが入ったのかもしれません。

 

もうこれ以上私にできることはないし、できることなら、この不快な関係から抜け出したいです。この件では怒りが噴出し過ぎ、頭痛が生じて、困っていました。不思議なほど強い怒りが出るので、苦しくなって、Spiritual Guidance-Based Coaching セッションを受けた方がよいと思ったのです。

 

自分のどこに課題があったのか知って、今後の成長のためにこの経験を活かしたいです。そのために、この人間関係の問題に取り組もうと思います。

 

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私(Ai)はじっとこの女性の話を聞きました。一通り話し終わると、この女性は、「はぁ。」と疲れたようにため息をつきました。心の内側からこみ上げる怒りが、彼女を疲れさせているように見えました。

 

この女性は、人を支援することで、人が生きる力をつけていってくれることが嬉しいとお話になります。そのような方にとって、自分が誰かのためになればと思うことが、ことごとく拒絶され、責められるこの状況は、苦しかったことでしょう。この女性は、忍耐強い女性なので、一般的に言うと、さすがに堪忍袋の緒が切れた、ということなのでしょう。

 

セッションを通し、このクライアントの女性にとって、この友人は、自分の母親を思い出させることに気づいていきました。このクライアントの女性の母親は長らく看護師をしていました。いつも夫の愚痴を言い、家族や周りの意見は聞かない女性でした。このクライアントの女性が子供の頃、何度母親を言い含めても、正しい意見に耳を貸さず、逆にそのアドバイスのために母親の状況が悪くなった、と子供の彼女を責めたのです。

 

子供の頃の彼女には、看護師である母親は、ものを知っているように見えていました。ですので、ものを知っているはずの母親が、子供の彼女を責めるので、自分が間違っているように感じました。でも、母親の言う答えは、正しい答えのようには見えない。母親を助けようとして、力を尽くしているのに、逆に、あなたが間違っている、と責められることにうんざりしていたのです。父親にも母親と同じ傾向がみられました。

 

この友人はクライアントの女性よりも年上の女性で、経験もありそうに見えていました。ですから、このクライアントの女性は、友人にパワーを感じていたのです。ただ、落ち着いて話をしていくと、この友人は病院での治療には詳しいのですが、社会との関りでどのように人が癒えていくのか、ということには経験がなく、まるで素人なのだと、気が付きました。また、現時点では、その大切さを知ろうとはしない人なのだと、気が付きました。

 

このクライアントの女性は、「まだ親の問題が残っていたのですね。子供の頃の繰り返しのパターンからは、ずいぶん学び終えてきたと思っていたのですが…。私は自由になりたい。今学び終えたいのです。がんばります。」と仰いました。

 

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スピリチュアル・ガイドにアドバイスをいただくことにしました。彼女のスピリチュアル・ガイドは言いました。

 

「いままでも同じような状況を繰り返していませんでしたか?」

 

はっとしたように、クライアントの女性は言いました。

 

「最近まで、ある団体でボランティアをしていたのですが、辞めたところです。相手のことを思って、手を尽くしていたのですが、私が支援しても、相手や状況が一向に変わらないことに、さすがにがっかりしたのです。この団体にも、この友人にも、親にも、私の良心を利用されたような気がします。…思い返すと、最近他にも、良心を利用されたと思うケースを、立て続けに経験しています。きっと、学びのためなのでしょうね。どうやったら、終われるのか?繰り返さなくてよいのか、考えたいです。」

 

スピリチュアル・ガイドは言いました。

 

「あなたが誰かを助けようと思うとき、どのようにしますか?」

 

この女性は答えました。

 

「相手の最善を祈ります。ですが、この友人に対しては、心のどこかで、『どうせまた、相手はわからないのだろう。』という思いがわいていました。」

 

「なぜでしょうか?」スピリチュアル・ガイドは尋ねました。彼女は答えました。

 

「何を言っても聞く耳を持たないからです。そして、自分は大変なのだ、と主張するのです。大変な状況にある弟さんのことを話しているのに、彼女の主張のために、弟さんのことが忘れ去られていくのです。結局、彼女を怒らせないようにするために、『そうだね。あなたも大変だね。』と、言って、彼女の言うなりになっていく自分がいやになっていました。」

 

以下、スピリチュアル・ガイドと、クライアントの女性との間の受け答えを記していきます。

 

スピリチュアル・ガイド「なぜここまで、関係を引きずったのでしょうか?」

クライアント「友人に嫌われたくなかったからだと思います。」

スピリチュアル・ガイド「その結果どうなりましたか?」

クライアント「もっと自分のことを嫌いになりました。」

スピリチュアル・ガイド「その関係は健全でしょうか?」

クライアント「健全ではありません。どうやって離れればよいでしょうか。」

 

スピリチュアル・ガイド「あなたはどうしたいのでしょう?」

クライアント「実は、時間はかかったのですが、私は親子関係の問題に気づき、母親の支配に一貫してNoと一貫して言い続け、母親との適切な距離を開けました。母親は最初全く理解せず、被害者のように振舞っていました。今でもそのように感じていると思います。ですが、そのような形にしなければ、自分の人生を取り戻すことができないと思ったのです。母親は父親や兄弟を操作しましたが、彼らに対しても、私は自分の意思を一貫させることにし、距離を開けました。この友人…友人だと思っていた人ですが…にもその必要があるのではないかと感じました。

 

自分自身に聞いてみると、私の心は、『友人にはもう会いたくない』と言ったのです。」

 

クライアント「今後の一番の問題は、また、この友人から連絡がきたときに、それまでのパターンにはまってしまい、つい助けようとしてしまう、ということにあるのではないか、と気が付きました。私は、その恐れのために、気づかないうちに、断り方をいろいろと模索していました、連絡が来たら、どのように断ればよいでしょうか。」

 

スピリチュアル・ガイド「何が一番効果的な断り方でしょうか?私とつながって答えを得てください。」

 

スピリチュアル・ガイドとつながり、しばらくしてクライアントの女性は答えました。

 

クライアント「時間が取れない、というのが一番でしょう。自分の内なる心に従うことに決めたので、先日友人に会ったのですが、次の約束はしていません。私が気にしているのは、この弟さんなのです。弟さんを亡くしたら、同僚は、また自分を責めるのではないか、と気になっているのです。」

 

スピリチュアル・ガイド「相手から連絡が来ないほど、あなたがエネルギーを上げればよいのです。エネルギーを上げるとは、あなたが自分らしい生き方をすることによって生じる自由なエネルギーが増えるということです。あなたのエネルギーが高すぎたら、相手はあなたのエネルギー・フィールドに近づくことはできません。」

 

クライアントの女性は、「そうか。」と言って、「私のエネルギーが低くなっていたのか。」と納得したように呟いて、俯きました。

 

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スピリチュアル・ガイド「あなたは、その弟さんに何を伝えたかったのでしょうか?」

 

クライアント「私が伝えたかったのは、弟さんの状況では、病は自分で直そうと思った時に、大きく改善し始める、ということです。病気を治していくときには、人が何かしてくれるのを待つのではなく、自分の意思で状況を変えることをしない限り、助けがこないことだって、あるのです。たとえ家族の顔色を窺って、家族の言うなりになっていても、自分の意思が示せる以上、その責任は、患者さんである弟さんご本人にあります。自分の人生を人任せにはできないのです。でも、たとえ病気で負けそうになっても、力を失いそうになっても、あきらめずに進んでいけば、助ける人も、運も、やってきます。」

 

スピリチュアル・ガイド「確かにこの弟さんは、現在、自立や回復をする機会を奪われているように見えます。それは周りの人から見ると、気の毒なことに見えます。ただ、その状況はなかなか変えられるものではありません。なぜなら、人間は、最善の道を学びたいと思った時しか、最善の道を学ぶことができないからです。あなたがどんなに、未来が見えていても、時に人間は、見えないことがあります。特に、自分のエゴが前面に出ているときには、他者の言うことには、決して耳を傾けないでしょう。自分が正しいと思っているからです。そのような状況で、周りの人間は導き手になることが難しいのです。ですから、神に委ねることが必要になります。」

 

クライアント「今言われたことを、頭ではわかっているのですが、心が付いていきませんでしたね…。私はどのように変わればよいか、アドバイスをいただけますか?」

 

スピリチュアル・ガイド「自分の内なる心の中にある、離れたい、と思う気持ちを尊重することです。そして、それを叶えてあげることです。あなたがいなくても、相手は困りません。なぜなら、自分で人生の責任を取っていないからです。責任をとっていない、ということは、人のせいにしている、ということ。病気は、自分で自分の人生を心地よくしていくのだ、という強い意志があってこそ、改善の道に進みます。回復に関わる全てのことを人のせいにはできないのです。どの治療を、何のために受けるのか、ということを決めることすら、自分の責任です。」

 

クライアントの女性はスピリチュアル・ガイドとつながりました。そして、毅然とした態度で、素早く答えを出しました。

 

「では、まずは自分を変えます。私も慢性の病気を抱えています。その病気を治すことに集中します。」

 

スピリチュアル・ガイド「それは大切なことですね。人に伝えたいアドバイスは、自分へのアドバイス。あなたが、自分へのケアを厚くすると、人に何かやってもらって得をしようとするそのような人たちは、人間関係から消えていきます。なぜなら、あなたはもう、小さな子供ではなく、大人として、自分の人生に責任を取ることを覚えているからです。」

 

スピリチュアル・ガイド「そして、自分に『ありがとう。』と言いましょう。なぜなら、あなたがどんなに尽くしても、そういう人たちは、ありがとう、をいうことができません。」

 

はっとしたように、クライアントは顔を上げました。「そう。彼女から文句ばかりで、心からありがとう、と言われたことはありません。母親からも、父親からもそうです。」

 

スピリチュアル・ガイド「あなたは、親から認められたかったのかもしれません。でも、そうしようとしても、すり減っていくだけです。なぜなら、あなた自身が、自分の行ったプラスのことを、自分で認め褒めない限り、この負の関係は終わらないからです。」

 

クライアント「不思議なことに、友人に対して、私の中からものすごい怒りがわいてくるのです。憤怒と言ってよいと思います。その底には、『あなたは間違っている!』という、叫びのような思いがあるのです。一体なぜ、そのようなことが起きるのでしょうか?頭では、どのような選択でも、相手に責任がある、と知っているのです。」

 

スピリチュアル・ガイド「あなたの心の声がよくわかりましたね。確かに、癒えるためには、現時点では、彼らは間違った選択をしているように見えます。でも、それが学びの一つ。人が苦しむのを見ているのはつらいですが、その間違った選択をしている自分に責任を持つ、という学びでもあるのです。」

 

クライアントの女性は俯きました。

「たとえ間違った選択だとしても、彼らの選択。それに対してものを言いたくなる自分が間違っているのかと思っていました。

友人とそのご家族に対しては、早く癒えてほしい、苦しみから脱してほしい、という願いがありました。でも、このケースでは、願いが違うということですね。彼らにとっての最善があることを、ただ祈ればよいということでしょうか。」

 

スピリチュアル・ガイド「物を言いたくなる自分を責める代わりに、その思いを認めてあげましょう。そして、自分を癒すきっかけにしましょう。確かに、あなたが物を言いたくなるほどの状況があるのです。その自分の思いを無視すると、あなたは自分のことを、心のない人だと思うでしょう。(現状ではそうなっていなくても)本当は、相手が気づいてくださると、最善の方向に進む可能性があるのです。

 

そして、相手にとっての最善が起きることを祈りましょう。相手にとっての最善が起きることを祈ることは、あなたに最善があることを祈ることでもあるので、結果として、あなたを守ることにもなります。」

 

クライアント「自分を癒すきっかけにしたいと思います。では、今から私は状況を改善するために、どのようなことができるでしょうか?」

 

スピリチュアル・ガイド「毎日、自分に『ありがとう。』を言いましょう。そして、体がどのように反応するか、感じてみましょう。」

 

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クライアント「私にとって、誰が支援を届ける最善の相手なのでしょうか。」

 

スピリチュアル・ガイド「あなたと同じ志や価値観を持っている方なら、誰でもよいでしょう。」

 

クライアント「言われてみると、私とその友人とは、まるで異なる価値観を持っていますね。彼女は、西洋医学というカテゴリに当てはまる治療しか信じていません。病院で行うのが治療だと考えていると思います。でも、私はその逆で、治療というのは、患者さんの生活を含め、社会生活を含めて行われるものだと考えています。ですから、社会生活を大切にしています。」

 

クライアント「私は、前世でも同じような経験をしています。苦しみの中から脱することを望まない人たちに、力を尽くしては、私のせいにされて、最後は私の責任ではないことに責任を取らされて、殺されていたのです。濡れ衣を着せられたのです。」

 

ここで、クライアントの女性は、「あれっ!?」と言いました。

 

「そういえば…。この友人は、その時に濡れ衣を着せた身分の高い女性の一人です。彼女たちのグループの人々は、若く身分の低い私を利用して、そして殺しました。あぁ。私は、この身分の高い女性は、濡れ衣に関わっていなかったと思っていたのですが、私が今経験している苦しさから考えると、もしかしたら関わっていたということなのかもしれません。

 

どうりで、私の心の声が、『早く逃げなくては。』と何度も言うのですね。気が付きませんでしたが、自分は怒っていました。彼女たちのために、戦っても、戦っても、その手柄の価値がわからない。彼女たちは、たとえ身分が高くても、本当の意味で社会の人々のために行動しなかった人たちだ、ということを前世の私は知らなかったのです。」

 

スピリチュアル・ガイド「前世から起きているくせから学び終えようと思ったら、心の声に従うことです。」

 

クライアント「その同僚やご家族を助ける人たちはすでにたくさんいます。その人たちが、正しいアドバイスをしているかは、別ですが。なぜ、同じ医療提供者なのに、現場の人たちが私と同じようなアドバイスをしないのか、不思議だったのです。でも、私と同じように、この友人に責められるので、『ご家族の希望だから。』ということで、私と同じように、何も言えなくなっているかもしれない。弟さんも、この同僚を怒らせるのが嫌で、何も言えなくなっているのかもしれない。気の毒ですが、でもそれも含めて、彼らの責任です。私は、自分も含めて、関係しているすべての人たちに最善があるように、祈ります。」

 

スピリチュアル・ガイド「あなたは、今世では、まず自分を守り、まずあなたの心と体が安全だと思う場所に逃げてください。あなたが学び終えると、相手との距離が空きます。自分のどこに、隙があったか、どのようにしたら、その隙をみせずに、相手と関わらずに人間関係の距離を開けていけるか、わかってきます。」

 

クライアント「安全な場所…。今の私にとっては、〇市(地名)です。なぜか、ここにいると、私が思っている正しいことを、同じように正しいと判断して、そういってくれる人たちに出会うのです。そこに滞在する時間を増やそうと思います。

 

自分の隙ですか…。自分でも気づかない隙ですよね。うーん…。もしかしたら、私の何かが、相手に『こいつは、利用できそうだ。』と思わせているのかもしれません。」

 

スピリチュアル・ガイド「自分の隙、というのは、自分の非を認めるようで、違うものです。相手に隙を見せるというのは、自分も気づかないあなたの心の闇を相手が見て、それを相手が利用する、ということです。あなたが見せている行為は、意図的ではないのですが、結果として、あなたが隙を見せるので、相手がその闇に付け込んでくるのです。その隙を見せないようにするには、あなたが自分を癒すこと。それが最善です。」

 

クライアント「最近、ストレスのためか、持病が重くなっていました。いい機会ですので、自分に向き合います。母親との距離を開けることができたので、もう大丈夫だと思っていたのですが、また、パターンを繰り返していたようです。母親や母親を彷彿(ほうふつ)とさせる人は、学んだり努力したりするなどして自分の力で幸せになる努力をしない人たちです。気が付かないうちに、私はそのような人たちを支援して、彼らが人生をより良く生きてもらおうとすることに時間を使って、自分の人生を無駄にして、自分を傷つけてしまったのですね。母親は私を大切にすることをしませんでした。これからは、もっと、私自身が自分をケアしてあげることで、自分の時間や人生を大切にしたいです。ありがとうございました。」と仰いました。

 

セッションの間、スピリチュアル・ガイドは、たくさんのヒーリングのエネルギーを送ってくださいました。クライアントの女性は、全て受け取り、体が軽くなりました。

 

私(Ai)は、このクライアントの女性が、状況を変えるために最善を目指してよく努力していることを伝えました。彼女の子供の頃の環境では、努力して親の求める幸せをつかむことは、親のためであって、彼女のためではなかった。でも今は、彼女は自分で自分を守ることができると知っている。親の望む人生ではなく、自分の人生を生きることを、最優先にすることで、十分人生をやり直す努力をしている、と伝えました。さらに、気づきを得るスピードが速いことは、彼女のたゆまぬ努力の証であると思う、と伝えました。

 

スピリチュアル・ガイドは、このクライアントの女性に、セッション後もヒーリングが続くため、30分ほど横になって休むように伝えました。また、当日は、なるべく静かに過ごし、あまり人と話さずに、瞑想をしたり、ジャーナル(気づきを書き留めておくノート)をつけるように勧めました。

 

このクライアントの女性は、自宅の一室でオンライン・セッションを受けていました。すでに何度かSpiritual Guidance-Based Coaching sessionを受けていただいていたので、すぐにソファかベッドで休めるように、準備ができており、すでにご家族にも協力を依頼していたそうです。「普段だと周りのことが気になりがちですが、今日は、心静かに自分と向き合う豊かな時間を過ごします。」とお話しでした。

 

私は最善をお祈りして、その日のセッションは終了しました。

 

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次のセッションは、約3週間後でした。私は、このクライアントの女性に、どのように日々を過ごしていたか尋ねました。以下は、この女性がお話しくださったことです。一言一言、ご自身の経験をかみしめるように、お話しくださいました。

 

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前回のセッションの後から、私は、自分に「ありがとう。」と毎日言い続けました。体全部にありがとう、と声をかけ続けました。すると、おなかの中のおへそのあたりのエネルギーが切れる感覚がしました。おへそ=母親とつながっていた部分だったのではないかと思いました。そして、おなかの中のおへその周囲にあった持病の病のエネルギーがクリアになって、自由になり、持病の必要がもうない、という感覚が生じました。

 

しばらくすると、友人への憤りが減ってきました。私はもう、この女性とプライベートで関わることはないけれど、きっと彼女にとっての最善の中で生きていくことだろう。私はこの関係での役割を終えて、先に進もう、と思えました。

 

 

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この3週間、私は、友人だと思っていた女性(以下、友人、と記載)との関係をしみじみと振り返りつつ、その関係の中にあった学びについて考えました。この関係から学び終えたい。どうすれば、その関係から学び終えられるか?関係が憎しみで終わらないように、自分を許し、友人を許し、弟さんを許し、そして親を許しながら、真剣に考えていきました。

 

思えば、元々この友人は、弟さんが重い病気にかかった時、自分の趣味をすべて投げうって、弟さんの介護に取り組み始めました。その時私は、「自分のことを疎かにしてしまうと、介護を行う相手への不満が生じてしまい、介護にも支障を来すので、自分の楽しみは削らない方がよい。」と考え、友人にやわらかくアドバイスしていました。でも、その友人はそのアドバイスを聞きませんでした。

 

気が付けば、私がこの弟さんに何かしてあげようとする状況が生じると、弟さんばかり気にかけられることへの不満からか、この友人は逆に、「私はこんなに大変なんだ。こんなに困っているのだ。」と言うようになりました。周りにも同じように接していたので、「介護者が倒れるといけないからあなたにとって都合のよいようにしましょう。」と、全てのことを彼女の都合で回すようになっていました。時に弟さんが自分の意思を伝えても、医療提供者たちに「今回は本人が言うから、その通りにしますが、次からは私が大変なので無理ですから。」と言うようになっていました。弟さんも、姉である友人に責められるのが嫌で次第に自分の意思を言わなくなり、もう、誰のための介護なのか、わからなくなっていました。

 

気が付けば、この弟さんは、食べられなくなっていっていて、もう、弟さんの病状に不確実な先端医療を施したところで、効き目があるのかも、わからない。弟さんもこの治療に同意していると言っているけれど、姉である友人に気に入られよう、満足させよう、怒らせないようにしよう、として言っているだけかもしれない。というのも、弟さんは、姉とは違い、西洋医学的な治療を好んでいないことを、これまで周りの人たちは知っているからなのです。

 

友人のその様子を見ていると、やはり、自分のケアをおろそかにして、他者を助けることなどできないのだ、と思います。人を助けるために介護しているはずなのに、支援する側の不満が増えて、結局「私のことを見ていない。」と不満を周りにこぼしたり、八つ当たりするようになってしまう。

 

結局、周りが何をアドバイスしても、友人のやりたいようにしか、やらないということも、よくわかりました。このような関係を続けても、彼女はどんどん、コントローラーのようになっていくばかりで、本当に家族のためになるケアはチョイスできないだろうと思います。それよりは、自分が立ち去ると、周りにきつく当たっていたエネルギーが友人自身に戻ってくるでしょう。そのフラストレーションが大きくなった時に、自分のことを見つめるよい機会になれば、それでよいのだと思います。友人のご家族を助けようとして、友人のストレスのはけ口になってあげることはないのだ。そう思うと、彼女の家の問題に、私のいる意味はない。これまで彼女は、私にとって、「友人」というカテゴリにいたけれど、私のためにも彼女のためにも、思い切って、健全に立ち去る勇気を持とうと思い、内なる神に最善を祈っています。

 

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クライアントの女性は話を続けました。

 

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今回私が経験したことを、学びに変えて、よりよく支援をするための糧にしたいのです。

 

先日、今回の経験から学びうる学びについて考えていました。その時、仕事とプライベートは別だというけれど、たとえ医療提供者が自分の家族に向き合う時ですら、仕事で行っていることと、プライベートで家族に対して行うことの差が、これほど大きくなってしまうことがあるのだ、としみじみ思いました。今回の経験を学びとして生かすとすると、今後、医療提供者のご家族を支援するときには、役立つだろう、と思いました。

 

ならば、医療提供者である自分はどうするか?仕事もプライベートも一貫した考えの中で生きることができると、自分の中で嘘がありません。一貫性があると、場に応じて無理に自分を変えなくてよいので、私にとっては楽です。ですから、何とか、一貫性のある生き方を心がけたいと思います。

 

この3週間、自分のケアに集中しています。やはり、支援者が自分のケアを丁寧に行うことは大切ですね。これから私が支援者としてのキャリアを積んでいくためにも、自分の心と体のケアは本当に大切だと思いました。

 

そうすることで、私の中にあった信念が改めて見えてきました。病気を乗り越えるためには、家族との関係も、病気の自分にとっての意味も、学んでいくことが役立つ。私はこれまでそう考えてきました。その考えに改めて納得し、そのように自分が信じていることを、これからも信じ続けよう、と思いました。

 

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支援者として、怒りの扱いが私の課題の一つだったことに気が付きました。支援を続けるために、怒りをすっと隠してなかったことにする、という心の動きが、無意識にありました。相手の態度に怒っていたら支援にならないから、そうしていたのだと思います。でも、そうすることで、逆に、私自身が今回のように支援をした相手から被害を受けることがあると知りました。怒りを隠すのではなく、自分の怒りを尊重して、引き時を知る手がかりにしたいと思います。

 

例えば、友人への怒りの中にあった、「人を不当に扱わないでくれ!」という私の大切な思いを、自分でも受け止めよう、と思いました。怒りには、その理由と意味があったことを理解し、これまでそれに気づかなかった自分を許そう。自分が大切だと思う人たち―ここでは―弟さん―が、傷つけられているように見える状況で、それを見た自分も同じように傷ついたのだ。そう思ったのです。

 

お勧めいただいた「こんまりメソッド」で片付けをしていたら、この友人との間にあったエネルギーが切れてくるのを感じました。自分が心から望んでいない選択をすることが減ったからだと思いました。

 

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「このケースから何を学んだだろう?」もう一度自分に問いかけ、クライアントの女性は、深く息を吐いて、内面を見つめました。

 

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私はもう、自分を粗末にしたくないのです。自分とは価値観の違う相手を説き伏せて、自分を理解してもらうことは、基本的に無駄です。それよりも、仕事でもプライベートでも、自分と価値観の合う人たちと出会えるように、努力をしよう。それが一番無理がなく、自分に嘘をつかなくてよく、幸せだ、と思いました。そうすれば、より自分の力を発揮できるでしょう。私はこれから、独立開業しようと考えています。その時に、根幹となる考えにしていこうと思います。

 

自分に「ありがとう。」を言いつつ、もっと、自分の身も心も満足するように、自分に与えることをもっと学ぼうと思います。

 

自分の思いを尊重することについて、思ったことがあります。実は、これまで忙しくしていないと、人としてだめであるように感じていました。これも両親の影響があったと思います。内なる神とつながり、その思いを手放そう思います。私の場合、忙しくすると、「忙」という字の通り、私は心を失ってしまうように感じるのです。私は心静かに内なる神とつながることで、知恵を得ています。ゆったりとした時間を過ごす自分を肯定して、「ゆったりとした人生を生きたい」というその思いも、ありのまま愛そうと思います。

 

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クライアントの女性は、オンラインの画面の前で、背筋を伸ばし、姿勢よく座っていました。姿勢を崩さず一呼吸置き、心の内側に言葉を探しているように見えました。一段と深い気づきを得ているように見えました。

 

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そう考えていくと、私がより支援「できる」人たちが、本当に助けられて、かつ、大きく羽ばたいていってもらうために、このケースがあったかもしれません。今回向き合った課題は自分自身では気が付きにくいものでした。だから、ちゃんと向き合うために、あれほど、同じようなパターンが続いたのかもしれない、それほど大切な課題だったのだ、と思いました。

 

もしこのケースがなかったら、私の力や経験は、友人のような人たちに吸い取られてしまい、力を出せなくなってしまったでしょう。

 

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私が友人に見せていた心の隙とは何だったか?子供のころから自分の発言を両親に否定され続けたことによる、自分の言葉に対する自信のなさだったと思います。この自信のなさは、無意識に生じていたと思います。ですが、それが友人に見えて、利用されてしまったのでしょう。

 

不思議なのですが、瞑想して、内なる神と一つになると、その自信のなさのエネルギーが客観的に見えてきたのです。自分が正しいことをしているか、人に危害を加えていないか、有益なことをしているか、等の自分への疑いが生じていたようです。でも、この疑いは、人を支援する立場だったら、当然生じてよい、倫理的な問いだと思いました。その疑いを、内なる神にお返しし、スピリチュアル・ガイダンスをいただきました。「善悪は、神様と一緒に決めていきましょう。」と言われたように感じました。

 

考えてみると、これらの疑いの中にあったのは、不安だったように思います。不安を内なる神様にお返しすると、疑いが自然と消えていくのを感じました。一つ一つ、課題をクリアしながら、前に進めるように感じました。

 

なぜ不安だったのでしょう?私は心から、「すべての人たちに幸せになってほしい。」という願いを持っています。そのために、自分を投げ打って支援していました。その願いを真剣に考えれば考えるほど、自分が正しいことをしているのか、気になって、自分に対する疑いが生じ、不安につながったのだと思いました。

 

今回のケースは、私の願いの隙をつくものでもありました。最初私は友人と弟さんを幸せにできなかったと思って、自分の願いが叶わなかった、と思っていました。でも、よく考えてみると、友人も弟さんも、今は回復して幸せに生きる、という選択をしていません。だから、私にできることがない。それだけのことです。友人が望まないうちは、私が幸せを届けることはできません。でも、友人は将来そのタイミングになったら、彼女に合ったやり方で学ぶことができるでしょう。

 

肉体的な時間の限りがあるのだから、まず私は、学ぶタイミングにある人たちを助けよう、と決めました。もしかしたら、これがスピリチュアル・ガイドが伝えたかった「隙」と、その隙を改善する方法なのかもしれません。

 

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このクライアントの女性は、セッションを通じ、将来自分が関わりたいクライアントを選び出すことができました。スピリチュアル・ガイダンスを通じ、自分の力をより発揮するための、アドバイスをいただいたように感じたのでした。クライアントの女性は続けました。

 

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今まで、周りのアドバイスを聞かずに間違った道に進む人たちを見ているとはらはらしていました。必ずトラブルになるからです。でも今は、自分に言い聞かせています。「それがその人たちにとって最善なのだろう。その学びが必要なのだろう。」

 

そのように考えると、自分の力で間違った方向に進んだ人生を、正しい方向に戻し、さらに先に進ませる、ということが、どれほど難しいことか、考えさせられます。

 

同じ課題を何回も、何回も失敗して、やっと、それまで、自分の心を聞かずに頭でのみ考えたり、不安からのみ考えて、最善だと判断してきた道は、うまくいかなかった、と知ることができます。そして、もう二度とその失敗は嫌だと決意したら、間違いを人のせいにせずに自分の責任を認め、その失敗から学ぶことができます。

 

さらに、その学びを実生活で形にできるかどうか、は、また別の話。頭でわかっていても、元々の「心のくせ」に引き戻されることもあります。それをふりしぼって、人生の選択を変えていくには、スピリチュアル・ガイドとのつながりが必須です。努力に努力を重ねて、やっと、自由に新しい生き方を謳歌することができます。

 

そう考えると、私は自分を許せそうです。なぜなら、私は今まで、人生で数多く失敗してきました。でも、努力に努力を重ねた結果、今は昔のような失敗はしません。何回も失敗しながら、私は学んで、正しい方向に進んできたことが、わかったからです。

 

私は、自分の苦しみを越え、社会をよくするために役立てたい、と思ってきました。同じ苦しみをできるだけ、人にはさせないように、と思っていたので、人が間違った方向に進むことを繰り返す人たちを見ていると、はらはらしたのだと思います。その上に、医療で言うところの「患者さんやご家族の意思」と言われると、苦しくなっていました。

 

私はやっぱり、私の経験した苦しみを、人が幸せになるために役立てたいです。やはり、私の経験がすぐに役立つ人々に出会えることを望みます。今回のケースで、なお一層、その思いが強くなりました。

 

これからもっと祈りながら、内なる神と一つになることを学びながら、進んでいきたいと思います。本日はありがとうございました。

 

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スピリチュアル・ガイドは、クライアントの女性に、「あなたは、内なる神様と一つになることを妨げてきた前世の学びを終わらせましたよ。よく頑張りましたね。」と伝えました。そして、「内なる知恵をもっと与えますよ。」とヒーリングしながら伝えてくださいました。

 

クライアントの女性は、厳かな気持ちで受け止めました。

 

スピリチュアル・ガイドは、オンライン・セッション後、1時間ほど横になり、ヒーリングのエネルギーを受け取り続けることを勧めました。

 

「たくさん話したからか、喉が渇きますね。」とクライアントの女性は仰いました。私(Ai)は、「ヒーリングの際には、心身がリラックスしており、血管も程よく緩んでいます。冷たいお水は、緩んだ血管を収縮させることがあるので、ヒーリングを妨げてしまう可能性があります。常温か、ぬるめの白湯にしてくださいね。」と伝えました。また、副作用などについてもお伝えしました。

 

「前世から学び終えた。」とは、とても大きなスピリチュアル・ガイダンスです。この日、クライアントの女性は、心の遣い方が変わっただけでなく、自分のために、未来を手に入れたのです。

 

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その後、このクライアントの女性は、スピリチュアル・ガイドとつながりながら、友人や両親との関係から学び終えることに集中しました。

 

ある日、ワークしながら、自分のエネルギーが友人から離れていくのを感じていました。自分が自由になって、背中に羽を生やして天女になって生きていくような、そんなイメージもわいていました。クライアントの女性は、自分が自分でいていい、ということを身をもって経験しました。これまで友人から不当に責められていたことに気が付き、自分を取り戻せたことに感謝しました。

 

「ありがとう。ありがとう。」と自分の心と体に何度も伝えました。体にも、「『ありがとう。』という気持ちをぜひ受け取ってください。」とお願いしました。また、「内なる神と、体も心も一つになります。」と唱え、持病のヒーリングを祈りました。すると、ますます、体が軽くなっていくのを感じました。

 

この友人とはもうエネルギーが合わないことを受け入れ、その関係から学び終えるように、自分を変えることができたな、と感じ始めた頃、いつのまにか、生き方が変わってしまっていました。

 

すると、そのタイミングで友人から連絡が来ました。びっくりしましたが、友人も弟さんも変わらないことを受け入れた上で、この女性はメールを開きました。すると、弟さんが、このクライアントの女性に会って話をしたいと言っている、という内容でした。この女性は、友人が間に入るとこの弟さんは本心を話せないことに気がついていたので、弟さんとのみ話をすることができるように、スピリチュアル・ガイドに祈り、スピリチュアル・ガイダンスをいただきました。そして、友人に「弟さんが自分で話すことができると、あなたに時間ができて楽になるから。」と伝え、友人の承諾を得たのです。そのようにして、この友人に建設的に NOということができました。

 

その間のやり取りで、友人の発言に怒りが生じても、「とにもかくにも、まずは自分の人生に力を注ぎこもう。」と自分に言い聞かせ、自分のことに集中するように心がけました。時に、不安が生じたり、友人と弟さんからエネルギーが取られたように感じることもありました。そのような時には、「これまで越えてきた積み重ねがある。また一つ一つ積み重ねていくだけだ。必ず越える。私は今世の学びを学び終える。」と言い聞かせました。

 

弟さんと会う時には、弟さんの課題を受け入れた上で、弟さんが何をどこまで変えていこうとしているのか、丁寧に見極めることに努めました。すると、弟さんは、まだ、姉である友人や両親に気に入られる、いい子になろうとしており、なかなか、自分の考え方のくせを変えられないことが見えてきました。このクライアントの女性は弟さんに、「まずは、自分の価値観や心のくせを知ることが、これから楽に生きるために、役立つのではないか。」と率直に伝えました。以前、友人を介して勧めた時には、友人に断られたある精神療法を、弟さんに勧めることができました。

 

そのようにしながら、スピリチュアル・ガイダンスをいただきつつ、穏やかな形で友人と距離を空けていくことができました。

 

すると、今までの生き方が、いかに無理のあるものだったかに気づかされました。自分を投げうって人を助けることは価値のあること。でも、それを仕事で毎日やっていたら、疲れ果ててしまう。もう少し肩の荷を下ろして、人生を自分のために生きよう、と思えました。これまで、人のために生きてきた分を、軽くなっただけ、自分のために用い、コンディションをよくして、もっとクライアントに貢献できるようにしよう、と思いました。

 

気が付くと、自分が今世ですべきこと、つまり、今世の使命に集中できるようになり、このクライアントの女性は、人にどう思われるか、とか、周りに認めてもらわなければ、と思うこともなくなっていきました。スピリチュアル・ガイドとつながって今世の使命を終わらせることこそが、自分にとって大切なことであって、それ以外はない、と気が付いたのです。

 

すると、どこからか彼女の評判を聞きつけた方から、お仕事の依頼を受け、これまでとは異なるクライアントに出会えるようになってきました。自ら自分を変えて、世の中をよりよくするために役立ちたい、力を発揮したい、と願う人たちとつながれるようになってきたのです。クライアントの女性は、自分の経験が生きることに安堵し、心からの喜びを得ることができました。

 

しばらくして、このクライアントの女性が、「SGBCで、自分でも気づかない前世から続くくせを発見することができ、また、越え方を学ぶことができました。ありがとうございました。」とメッセージをくださいました。これからの彼女の活躍が、目に見えるようでした。