親子の愛情とは

 

Title: What is love between parents and children?

 

オリジナルの記事はこちら

 

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幼いお子さんを子育て中のママとお話をしていたときのこと。イヤイヤ期まっさかりのお子さんを育てながら、「自分は親として正しいことをしているだろうか、ふと迷うことがあります。子供をコントロールしていないかなぁ、とか。」と仰いました。

私はどのように返答しようかと考えました。ふと考えて、以下のようなことをお伝えました。

親御さんや親のような立場の方々は日々悩みながら子育てをしておられますよね。このママの言葉に共感される方も多いのではないかと思いましたので、追記して今回の連載にいたしました。

以下、状況によってニュアンスなども異なるため、必ずいつも当てはまるというわけではありません。ですが、およその傾向として当てはまることがあることを、学びのためにシェアしています。どうぞご自身の学びやヒーリングのためにお役立てください。

また、あくまでも自分の心の内面を見つめる手助けとなることを意図しておりますので、特定の個人を批判する意図はありません。どうぞ予めご了承ください。

もしこの連載を読んで、自分が親として批判されている気持ちになったら、一度立ち止まって、どのような過去の出来事がそう思わせているか、考えてみましょう。その際には、自分を責めずに、まずは、自分の気持ちをありのままに感じてみてくださいね。

皆様のお役に立てれば嬉しいです。

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精神科でお会いする患者さんの中には、親子関係で厳しい経験をしている方もおられます。

その方々の親が、子供にとって毒になっていたのか、そうでないのか。患者さんのお話を伺ったり、親御さんと面談していると、気が付くことがあるのです。

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ずいぶん前のことです。普段は一人で通院していた制服姿の女子中学生の患者さん。


不安神経症という病気について親御さんに説明するため、診察の際、患者さんとそのお母さんにお会いしました。このお母さんは、日に焼けた卵型のお顔に黒髪を肩まで伸ばし、Tシャツにラフなズボンを履いた出で立ちで入室されました。小さな診察室に二人で入ってくると、お母さんは椅子にどっかりと座りました。大柄のお母さんの横に、少し小柄な制服姿の女の子が小さくなって俯いて(うつむいて)座りました。この中学生は、肩までストレートの黒髪をおかっぱにし、右側の髪の毛をかわいいゴムで結んでいました。

お母さんに娘さんの病状についてお話を伺い始めるとすぐに、このお母さんは、怒りで声を震わせ、大きな声をあげながら、娘の病状について、「自分は悪くない。私は親として正しいことをしている。」と、とうとうと自分を弁護されました。そして、「問題は娘にある。娘は○○もしない、◇◇もしない。」と、病気の娘に対して怒り、娘を非難しました。娘の思いや病状を理解するような発言はありませんでした。

 

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制服を着たその女子中学生は、母親に恥をかかされているので、顔を真っ赤にして俯いて(うつむいて)いました。思いや感情はあるけれど、まだ思うように言葉にならない様子で、言い返すこともできませんでした。

私からも娘さんの病状について話をし、お母さんに理解を促しましたが、お母さんは納得はされず、娘を追い立てるように診察室から出ていかれました。そのようにしてしまうと、娘さんの不安がもっと強くなってしまうのですが…。

私は心の中で、「娘さんは苦しんでいるのだけど…。それは娘さんのせいだけで起きているのではなく、改善のためには、親御さんの理解や協力も必要なのだけれど、このお母さんはそれが見えないか、見たくないのだなぁ。親子が理解し合うのは難しそうだなぁ。ああ、残念だけれど、このご家庭には親御さんにも問題があるのだ。課題が大きいご家庭なのだろう。」と思いました。

 

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また、ある土曜日の午後でした。学校で高校生らしからぬ振る舞いをしたということで、精神科で見てもらったほうがよい、と学校でアドバイスされた男子高校生のケースがありました。そのため、その高校生の息子さんとご両親で診察においでになったのです。(どのような振る舞いをしたのか、その内容はうろ覚えなので、ここでは省略いたします)

まず息子さんのみ入室していただきました。息子さんは、やせ形で、ひょろっとした色白の背の高めの男の子でした。高校生によくある短髪で、シンプルな白いコットンの長袖のシャツに、グレーのラフなジャージのようなズボンを履いていました。

この息子さんには、自分のしたことについて、なぜそれをしたのか、という自分なりの理解や、周りへの影響など、ことの大きさについての客観的な理解は、診察の時点ではありませんでした。自分の言葉にならない様子で、尋ねてもあいまいな返答をしていました。困った様子で苦笑いをしつつも、どのように返答をしたらよいか、よくわからない、という表情でした。

息子さんのお話をお伺いしてから、息子さんに待合室でお待ちいただき、診察室で親御さんと面談をすることになりました。

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ご両親のお話をお伺いしていると、白髪交じりの髪を七三分けにし、白いポロシャツに薄茶色のスラックスを履いたお父さんが、うーん、と自分と向き合いながら考え込みました。しばらくして、「自分のどこが間違っていたのだろう。息子の○○という部分がわかっていなかったかなぁ…」と仰いました。その横で、薄い生地のと無地で黒のスカートを履いたお母さんが、「そうね…。息子の気持ちがわかっていなかったかな…。」と振り返っておられました。

お父さんはショックを受けながらも、早々に息子を受け止める決心をし、夫婦で何をすればよいか考えました。そして、息子の話を聞くことと、息子の起こした問題を、成長の一つの過程で起きたことだと捉えることにしました。

その後、その息子さんが入室され、3人で話をしました。両親の間にまだショック感はありながらも、お父さんの覚悟と、お母さんの「夫と二人で協力してやっていこう」という思いを感じた診察になりました。

息子さんは両親の前ではあまり多くを話しませんでした。でも、両親にひどく叱られるかと思って入室したのに、両親が自分を受け入れてくれたことを感じて、少し照れた様子で、落ち着いて帰宅しました。

その様子を拝見しながら、私は「そうか。この親子関係には希望があるなぁ。家族三人の関係をよりよくするために、互いの学びのために、この経験を活かせるかもしれない。」と思いました。

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またこちらは、軽い摂食障害が生じた女子高校生のケース。紺色の制服姿で、母親と入室されました。少し背が高く、体格がよく、黒髪を背中の肩甲骨あたりまで伸ばしていました。話をしていると、不安が強くなる時に、大きく息を吸い込むような症状がありました。それでも、第三者である私との受け答えもある程度でき、人と話をするときに笑顔を作ることもできる女の子でした。

このお母さんは、入室時、栗色の髪にパーマをかけ、丸首のシャツに薄い色のチノパンを履いていました。

娘が小学校高学年の時に、娘の父親と離婚したこと。再婚したけれど、再婚相手と娘がうまくいかなかったため、娘のことを考えて離婚したこと、現在は娘と二人で生活していることを話してくれました。

じっと娘を見つめ、「頑張ってはみたけれど、そういうことが娘にストレスをかけちゃったかなぁ。」と仰いました。

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すると、娘さんも母親をあたたかな眼差しで見つめ返し、「学校も大変だったからね。」と話しつつ、「まぁ、しょうがないよね。だいぶいいんだけどね。」と母親に伝えていました。

お話を伺っているうちに、娘さん自身が解決の仕方に気づいているようでしたので、その
点をお伝えすると、お二人ともほっとした表情を浮かべて笑顔になりました。そして、二人で仲良くお帰りになりました。

このお母さんのゆっくり淡々と言葉を選びながらお話しになるご様子から、ソフトな中にも自分の意見を持って生きている印象を受けました。

診察の後、私は思いました。「娘を一人の人間として見つめるあのお母さんの眼差ししは素敵だったなぁ。母親が娘を所有していないということは、このような眼差しなのだろう。娘もそれに気が付いて、呼応するのだなぁ。頑張っていらっしゃるお母さんだなぁ。」

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あるケースでは、成人した33歳の娘さんが、重い難病を発症していました。娘さんは、時間をかけて過去を振り返った結果、子供の頃から続いたの両親からの無理解、無関心、心身の暴力、支配に耐え兼ねたことが原因だと考えざるを得ませんでした。

病気のために重く動かなくなってしまった体を引きずりながら、この娘さんはまず母親に訴えました。「私の病気の原因を理解してほしい。」ところが、60歳のお母さんは、娘の目の前で、何事もなかったかのように、その言葉をスルーし無視しました。娘さんは、そのような母親を目の前にして、どうしていいかわかりませんでした。

その後も、このお母さんは、娘さんの訴えを受け止めることをせず、「私は親としてこれまで全部正しいことをしてきた!」と、娘の目の前で言い切りました。娘さんは、何が起きているのかわからず、びっくりして言葉も出ませんでした。

お父さんは娘さんに、「娘がこうなったのは、俺たちも悪いかもしれないが、本当に悪いのは○○せいだ。俺たちの幸せをぶち壊しにしやがって。」と手紙で伝えたそうです。

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娘さんはげっそりと気力が萎え、悲しみましたが、両親に「自分たちに迷惑をかけやがって。」と罵られるのに耐えられず、具合が悪い中一人暮らしを始め、全てを自分の力で生きるようになりました。

経済的に自立しながら勉学を続けるため、病のため動かない体を引きずりつつ、働きながら学校に通いました。

その後何年も家族との関係で苦しみましたが、親兄弟とコミュニケーションをとろうとすると、エネルギーを奪われ、げっそりとしてくることを、自分でも自覚し、受け止めました。

親の支配から抜けるには、自分が死ぬしかないのではないか、という思いが湧いてきたので、自分の努力不足でそうなっている、とか、まだできることがある、という思いがふわ~っとわいてきても、自分で自分を思い切り止めることにしました。そして、自分にはこれ以上の対応は無理だ、限界だと、そのように感じてよい、と自分に言い聞かせました。

重い病を抱えつつ、働きながら学校に通ったため、正規のカリキュラムよりも時間がかかりましたが、何とか学校を卒業することもできました。

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両親に、自分の苦しみが全く理解されず、親に理解を求めると、逆に「おまえのせいで俺たちはこんな嫌な目に遭わされている。」と責められ続けられるのが精神的に耐えがたくなりました。体調の悪い中、さらに体調を崩すようになってきたため、娘さんは、自分の代理人として弁護士を立てざるを得ませんでした。

親は敬うものだと教えられてきた娘さんでしたので、「親」とか、「家族」という存在に対して、このような選択をすることになったことがショックでしたが、そのようなケースもあることを知って、自分を守ることを選択しました。警察でも状況を理解してくれました。

それでも、両親の対応は変わりませんでした。

そしてついに娘さんは、自分が生き延びるために、両親と絶縁することを選んだのです。兄弟たちは、両親の言うことを信じて両親の味方になっていました。そのため、この娘さんは、自分を守るために、家族全員と絶縁せざるを得ませんでした。病の身を抱えながら身寄りがなくなってしまうことへのリスクはありましたが、考えた末、そのリスクも自分で背負うことにしました。

 

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この娘さんは、両親・兄弟と絶縁するために、相続も放棄することにしました。そして、両親・兄弟と一切の連絡を絶つことを、弁護士と警察を通じて伝えました。親御さんは、「自分たちは親として正しいことをした。娘の頭がおかしくなった。」と主張されたそうです。

ご両親は、「昔、娘はあんなにいい子だったのに、娘は勉強したことがきっかけで変わってしまった。私がどんなに娘を思っているか。私は親として、娘にこんなことも、あんなこともしてあげたんですよ!」と、自分がどれほどいい親であったか、その弁護士と警察に雄弁に主張し、嘆きました。

この娘さんは、「親子の愛情とは 9」でご紹介したように、重い難病を抱えながらも、働きながら自力で勉強を続ける道を選んでいました。その勉強の過程で自分の親子関係を見つめ直すきっかけと出会ったのだそうです。

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親子関係の厳しさゆえに病気になっても、どんなに娘がそれを両親に理解してほしいと訴えても、親は、「自分たちは正しいことをした。娘の頭がおかしくなった。悪いのは娘だ。」と主張する。親子の主張が食い違うこのようなケースでは、おそらく、震えるような声で娘さんが発した。「もう親とはいられません。無理です。家族と関わったら、私は死ぬしかこの支配から抜ける方法はないと思って、自殺を選択してしまうでしょう。今世で私は死にたくない。…両親は私にとって毒です。」という訴えが正しいのだろう、と推測しています。

なぜか?

 

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子供にとって毒になっていない、良心的な親御さんは、どんなに愛情を子供に尽くしても、いや、愛情をかければかけるほど、「もっとこうしてあげればよかった。」と後で思うからです。そして、それを心に思いながら子育てをすることが普通だからです。普通、と書くほど、人として当たり前のことなのです。

人として正しいことができたかどうか、ということは、良心的な方ほど、相手が大切であればあるほど、愛すれば愛するほど、自分の中で答えが出ず、腑に落ちないことが当たり前で、ぐるぐる考えてしまうことがあるからです。

だから、なかなか「私は親として正しいことをした。問題は子供のせいだ(あるいはパートナー等他者のせいだ。)」などと言い切れないことが多いのです。

人を愛するって、そういうことなのかな、って、思ったりもします。だから、そのような、罪悪感、後悔、後ろめたさを抱えていることすら、愛情の一つの形なのかもしれない。

もちろん、魂の成長の過程で、それらの感情から学んだり、ヒーリングしたりしていくので、そのままの感情を抱え続けることにはなりません。それらの感情を、いずれは手放して、自分を受け入れたり、許したりすることにつながっていきます。



(あくまで「多い」ということなので、状況によっては、言い切ることがその方にとっての正解であることもあります。その点をご理解くださいね。また、罪悪感、後悔、後ろめたさを感じていれば愛しているということでもないので、必要以上に感じようとする必要はありませんよ。そういう思いを感じている自分を受け入れ、愛し、許すことが学びでもあるからです。)

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そう。

虐待を含め、子供にとって毒になっている親御さんによく見られるのが、「私は親として正しいことをしている。(病気や問題が起きているのは)子供に問題がある。私には問題はない。」という発言です。

一方、課題が生じても子供と良好な関係を築くことのできる親御さんは、「自分は何をできたのだろう。自分のどこが間違っていたか。」と自分を振り返って、行動をどのように変えていくか考える。発言が真逆なのです。

親子関係を厳しくしている親御さんは、自分のことを振り返って見ることができないことが多いのです。


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ただ、この傾向は、親御さんが心から思っている場合の話に当てはまります。

子供にとって毒になる親御さんの中には、このロジックを利用する方もおられます。自分の立場を良くするために、わざと親としての反省の言葉を口にするケースも。でも、このような場合には、お話をお伺いしていると、言葉や行動が矛盾するので、わかってしまいます。また、醸し出すエネルギーからも伝わるものがあります。

その理由は、人間は五感を使ってコミュニケーションをしているので、言葉を用いない非言語的コミュニケーションも大きな役割を果たすためです。

ですから、上記の傾向を、親としての自分の行動を正当化し、周りをだますためのツールとして利用することはできないのです。

 

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「だから。」

と私はそのママに言いました。

「あなたは自分を振り返りつつ、『親としてこれでいいのかな…。これはこの子のためになるのかな…。』と迷いながら、でも答えを探しながら育児をしていますね。そのご様子から、愛情をもって子育てをしていらっしゃるのを感じます。きっと子供さんにはそれが伝わっていると思いますよ。ご自身の親御さんとの関係でもそういうこと、ありませんか?」

するとそのママは、少し考えて、

「あ、あります。」

と仰いました。

「実は私が子供の頃、母親がたくさんお稽古事をさせてくれたのですが、結構、厳しかったんですよ。大人になってから、ふと私に『あの時、厳しくしちゃったなぁ、って思うのよ。』って、話してくれたんです。確かに厳しかったけれど、そんなに気にする必要ないよ、って思いました。」

子供の側はあまり気にしていなくても、親の側は「もっとこうしてあげたかった。」という思いを持つこともある。そういうのって、時間が経って、親も成長して、色々なことが見えるようになると、もっとそうかもしれません。

大切な親子の愛情がこれからますます育ちますように、お祈りしています。