戦国武将の湯治

 

Title: Onsen/hot spring nurturement of warriors in the Sengoku era, the Warring States period in Japan

 

 

このお話は、戦国時代の前世を思い出すSpiriutal Guidance-Based Coaching sessionに関連する現世のお話です。オリジナルの記事はこちら

 

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皆様、こんにちは。

ずいぶん昔から、漠然と、戦国武将の湯治の経験をしたい、という思いがありました。なぜ今世、湯治に憧れがあったのか。前世との関係があったのではないかと推測しています。

私のイメージは…。時期は6月くらい。山奥にうっそうと茂った草むらの陰に湧く湯。白い湯気が立っている。

甲冑を着た武将が一人、頭と胴の鎧を取り、ぼさぼさの黒髪での周りに座り込む。20歳代後半くらいだろうか。口ひげも見える。やや細身の少し背の高い、憂える目をした男性である。顎が細く、姿勢が良い。武道を嗜んでいるのか、丹田に重心があり、腹式呼吸をしている。岩陰のようで、頭と背中を岩が覆っている。

腕の武具も取って、湯をゆっくりと右手で手ですくい、布で覆った左腕にゆっくりとかけていく。なぜ布にまで湯をかけるのだろう?湯の効能を続かせたい、という願いからだろうか…。

 

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温泉=体に良い、というイメージはありつつ、戦国時代の湯治にまでは行きつかずに何年も過ごしていたある日、スピリチュアル・ガイドに、草津温泉に行くことを勧められました。思い切って、緊急事態宣言の合間を縫って、友人と二人で行くことにしたのです。

都心から電車とバスで約4時間半かかる旅行です。

草津温泉と言えば、映画「テルマエ・ロマエII」で、女性たちが歌いながら細長い板で湯をかき混ぜながらお湯を柔らかくする、湯もみの印象が鮮烈にありました。学生の頃に、団体旅行で一回行っただけで、その時のお湯の記憶はほとんどありません。まったく初めて草津温泉に行く気分で出かけました。

山道をどんどん上りながら山奥に入っていくバス。心が弾みました。

お昼ごろに到着し、荷物をコインロッカーに預けて早速、温泉街の中心地へ。湯畑と呼ばれる、木枠の長い水路が何列にも並んでいる場所があり、そこを温泉が流れていきます。木枠に付いた黄色い付着物は湯の華でしょうか。辺りは湯気がもうもうと上がっており、硫黄のにおいがします。

湯畑を取り囲むように、石の碑が取り囲んでいます。草津を訪れた歴史的な人物百人を記した「草津に歩みし百人」が記されています。

見ていくと、日本武尊から始まり、源頼朝、木曾義仲…と続き、豊臣秀次、前田利家といっ武将たちの名も見られます。徳川幕府の時代には、草津温泉の湯を、将軍に届けていた時期もあったようです。

 

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まずは、観光案内所でも勧められた、御座之湯(ござのゆ)に出かけました。江戸時代にも名前が残っている温泉です。観光案内所の方に、草津温泉は湯の温度が熱いよー、と言われましたが、それだけだったので、「はーい。お伝えくださってありがとうございます。」と言って気軽に出かけました。

湯の熱さについては、東京の銭湯の湯の熱さを知っているので、これまで入ったことのある銭湯の湯とさほど変わらないのだろう、と思って、あまり何も考えずにお湯につかった私。先入観で、ゆっくり湯に浸かるのが「湯治」だと思っていたため、何度か湯に入ったり出たりして、湯の効用を得ようとしていました。

が…。

あれ…?

最初にお湯につかった時は何ともなかったのですが、次第に肌がピリピリしてきました。うっかり目にも入ってしまったらしく、目もヒリヒリしてきました。

私の気のせいかな?と思っていただけだったのですが、源泉を変えると、ピリピリ感の強さも変わります。

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「いやでも、私は湯治を経験したくて来たんだ…。」

と、時間をかけて湯に繰り返し入ろうと努力してみたのですが、ますます肌がピリピリしてきます。

こ…これはさすがにしんどくなってきた…。ううう…。

1時間ほどでついにギブアップ。な、なんだ?何なんだろうこの経験は…。

へとへとになって、湯から上がりました。湯の効用を得ようと思って、あまり真水で洗い流さないようにして上がったのですが、ますます肌がチクチクします。

友人は、ピリピリという感覚はありつつも、淡々と湯を感じているようです。

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湯から上がって、脱衣所に掲げられている温泉の効能の記載を読みました。草津温泉の湯は、皮膚だけでなく様々な症状に効果があるようです。

驚いたのは、草津温泉の泉質、PH2くらい、って、硫酸とおなじくらいということ!?頭の中に、学生の時の化学実験の様子が思い出されました。

昔聞いた、硫酸を用いた犯罪を思い出しました。硫酸って、時には人の肌を焼けただらせることだってあるよね!?ということは、温泉水にはコロナを不活化させる効果もあるのではないか?

ふと、私は不思議に思いました。PH2でなぜ人が湯にはいれるのだろう!??お母さんに抱えられた赤ちゃんも入っているのに!?

インターネットで調べてみると、PH 2なので、温泉水は金属も酸化させてしまうそうです。湯がかかると、布も次第にぼろぼろにしてしまうらしくで、ついたらなるべく洗い流したほうがよいようです。ということは、「戦国武将の湯治 1」でご紹介した戦国武将は、もし草津温泉の湯で湯治をしたら、腕に巻いた布に湯をかけることはできないのだな、と知りました。当時の戦国武将は私のように知らなかったかもしれませんが。

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「御座之湯(ござのゆ)」から上がった後、映画テルマエロマエIIでも出てきた「熱の湯」で「湯もみと踊り」ショーを見学して、宿に戻ると、二人とも早々に横になってしまいました。多少湯あたりしたのかもしれません。

翌朝目覚めると、皮膚のピリピリ・ヒリヒリが続いていました。その症状の出ている場所を改めて見て、気づいたことがあります。

この数か月、冬で空気が乾燥していたため、首にカサついたた部分があったのですが、すでに治ったと思っていました。なのに、その部分がチクチクします。なぜ!?

また、胸の胸骨の辺りもチクチクしてきました。昨日湯に入ってピリピリという刺激でこすったためか、首と胸に赤い発心まで出ています。肌に少し焼けたような熱感もします。布にあたると擦れてつらいので、襟巻を外しました。よく考えると、このところ多忙で心をかなり使っていたことを思い出しました。まるで湯が治すべきところをわかっているかのようです。

友人が言いました。

「皮膚炎があったんだけど、小さくなっているんだよね。ほら見て。」

見せてくれた皮膚炎は、直径約4cmx2cmの楕円形。昨日までは少し赤く盛り上がっていたのに、一日で患部の盛り上がりが薄くなり、赤みが退いてきました。目で見ても、炎症が退いたのがわかります。

うわー。なんだこれは?一日でこんなことがあるの??

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ううう、肌がつらい…。でももうちょっと湯に浸かってみたい…。二日目だったら、少し慣れてくるかも…。

そんな思いで出かけたのが、西の河原露天風呂。公園になっていて、すがすがしい空気の中に、川から温泉の湯気が立ち上っています。

西の河原公園を散策していると、銅像が2体ありました。何の気なしに通り過ぎようとすると、友人が声を上げました。

「あ、ベルツ博士の銅像だ。どこかで見たことがあると思った。銅像が東大医学部の敷地内にあるよね。ベルツ博士の目が印象的だったんだよね。」

近代医学の祖、ベルツ博士と、スクリバ博士の銅像です。近代医学の祖の前を挨拶もせずに素通りしようとしていたとは。ゴメンナサイ。

でも、なぜ草津に銅像が?後で調べると、ベルツ博士は草津温泉の湯の効用に強い関心を寄せておられたそうです。

露天風呂につかり、春を待つ自然を感じました。緑色のPH2の温泉の中でも生きることのできる珍しい藻類、イデユコゴメ。エメラルドみたいできれいだなぁ。

湯の中で見とれていると、じきに、肌がピリピリしてきました。最初のうち平気だったので、もう湯に慣れたかなぁ…と思ったけれど、ピリピリが強くなってきました。出たり入ったりしても長くは入れなかったけれど、上がろう。30分くらいで湯から上がり、今回は白湯で温泉を流しました。

 

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3日目。私は温泉に行くかどうか、迷っていました。肌のピリピリ感が続いていたからです。肌の表面に熱感もあります。一方の友人には、湯に入ると熱さと刺激はあるのですが、湯が合っていたようで、皮膚炎はますます退色してきました。そのため、私もできるところまで、と思い、一緒に温泉に出かけることにしました。

3日目は、大滝乃湯。低温、中温、高温の合わせ湯があります。

まず低温に入った私。これはいけるかも…、と思ったら、じきにピリピリしてきました。不思議と湯の中ではピリピリしなくなるのですが、上がるとピリピリが始まります。空気に触れることで何か変化があるのかもしれません。

中温へ進みましたが、ピリピリ感が増してきました。うう…。目にも入ってしみてきました。く…苦しい…。高温まで少し入ったところで、私はギブアップです。白湯でざっくりと洗い流しましたが、首と胸にはピリピリが残っています。皮膚の表面がヒリヒリと軽く焼ける感じがします。

一方の友人は、多少ピリピリ感はあるのでしょうが、チャレンジャーのように、強い関心を持って湯を浴びています。

修行者のような真剣な顔をして、じっと目を閉じ、瞑想し、体を感じながら、次々に高温風呂まで制覇。しかも、数回お湯に浸かっていました。むむむ。つわものです。これは武将だ。

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ふぅ。へとへとになりながら、私は思わず呟きました。

な…なんじゃこりゃあぁー。すごすぎる。こ、これは、本当の湯治だ。この湯に浸かることは治療のようなものだ。これは、武将たちも遠くから入りに来るよ…。武将たちは、本気出して生き死にをかけているのだから…。

今まで入ってきた温泉の湯は、柔らかくて、優しかったですが、この強烈なお湯は一体―――。

切って切られ、殺したことに心が病んでも、傷をいやす間もなく、次の戦いがある。

戦国時代の武将たちが何を考えていたのか、彼らの本気度と体を癒すことが必要な切実な状況を垣間見ることになりました。

天然の湯の花をありがたく購入して旅を終えました。コーヒースプーン一杯示寂なのに、お湯が柔らかくなります。

戻って一週間ほど経つと、ピーリングのように、頭皮からさらさらと角質が取れてきました。インターネットで調べてみると、そのような効用があるようですね。時間湯という湯治の方法とそれによる心身を見ると、私の経験と重なる部分があることに気が付きました。

スキージャンプのオリンピック日本代表だった、荻原健司さんは草津温泉がご実家なのだそうです。切り傷ができると、すぐに温泉に浸かりに行っていたのだとか。その理由もよくわかりました。

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私の湯の経験は、とても「戦国武将の湯治 1」に書いた戦国武将のような、ゆったりと心を研ぎ澄ませて湯治をするイメージのようにはなりませんでした。しかし、私個人としては、想像以上に強烈な経験になったように感じています。

一方、「戦国武将の湯治 8」に書いたように、友人はそのような様子で湯に入っていたので、彼女の様子から戦国武将の湯治はこのような様子だったのかなぁ、と想像したりしていました。もし第一話の私のイメージが前世だとすると、どこの温泉の湯だったのだろう?などと考えていました。

草津温泉で入浴していた期間は、私はピリピリという肌への刺激を主に経験していました。でも、不思議なことに、後でその時の経験を思い出してみると、湯が生き生きとヒーリングをしてくださっていたようで、入浴後、全体的に皮膚が活性化してきたように感じていたようです。

今思えば、PH2の強酸性の湯なのですから、慣れたり、長湯できるようになることを目指さなくともよかったのかもしれないと思うのですが、戦国武将の気持ちを察することができたので、きっと理由があったのでしょう。また、もし自分が戦国武将で傷があったとしたら、すぐにでも治したい、と思ったと思うので、前世の再体験をしていたかもしれません。

明治時代に来日された、日本近代医学の祖、ベルツ博士も関心を寄せたというのもうなずけます。群馬大学の研究では、コロナを不活化させる効用もあるそうです。PH2なので、おそらくそうだろうと思っていましたが、データとしても裏付けられているようです。

それにしても、温泉の湯にこのような効能があるとは。強アルカリ性の温泉もあるとのことなので、次の機会に行ってみようと思います。

これから、お薬を用いない治療法はますます重要性を増していくことが予想されます。その一つとして、温泉の効用はこれまで以上に重要性を増してくると思いました。

お読みいただき、誠にありがとうございました。